花と嵐

□あちらが泣けばそちらが笑う
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 忍術学園五年ろ組の富松作兵衛は、少し呆けた顔で隣の先輩を見た。

「え」

 そう呆けたままに呟いたそれを、作兵衛の先輩、六年ろ組浜守一郎は聞こえなかったのかと判断したらしい。

「だから、その編入生の凪雅君ってどんな奴?」

 守一郎がさっき聞いた事をまた言い直してきた。

「滝夜叉丸や三木ヱ門が、中々大した奴だとか面白い奴だとか言ってたんだ。彼奴らが人を誉めるなんて珍しいよなぁ」

 守一郎は独り言の様にそう言って「だから気になってさ」とまた作兵衛に目を戻してきた。
 作兵衛は、ほんの一瞬起き上がりかけた動揺と悲観的思考の芽を全力で押さえ付ける。
 これはただの質問だ。
 他意なんてある筈もない。
 落ち着け富松作兵衛。
 作兵衛は皿に残った漬け物をごりごりと噛み砕きながらそう自分に言い聞かせる。
 守一郎は実習で、作兵衛は委員会で少し遅くなった昼の食堂は人も疎らだ。

「……なんというか、泰然とした奴ですね。矜持が高そうなのに裏表が無いというのか」

「へぇ……」

 当たり障りの無い答えである。
 作兵衛は意識してその言葉を選んで、守一郎はそれに納得した様だった。
 だというのに、作兵衛はその『当たり障りの無い』感じに、何故だか僅かな居心地の悪さを覚えた。
 違う。と思った。
 泰然、矜持の高い、裏表の無い……それは確かにあの編入生高坂凪雅、もとい黄昏時城主の息女にして姫武将である黄昏凪雅を現す言葉だったが、それだけじゃないと作兵衛は思う。
 有り体に言えば、陳腐な言葉に感じたのだった。

「黄昏時の高坂さんには、一度会ったことがあるけど……」

 作兵衛はそんな事をじっと考えていたが、守一郎の声にふと我に返る。
 我に返った事に少し胸が騒がしい。
 悪い癖だ。
 すぐ考え事に囚われる。
 守一郎は、そんな独り小さく反省している作兵衛を他所にうーんと難しげに眉根を寄せて唸っている。

「やっぱ、似てない気がすんだよなぁ」

「え」

 作兵衛の口から、また呆けた声が出た。
 似てない?
 誰がだ。
 決まってる。凪雅と、あの黄昏時の忍、高坂陣内左衛門がだ。
 当然だ。偽りの兄妹いや兄弟なのだから、ああ、思えばなんて嘘を重ねまくってんだろうかあいつらは……。
 作兵衛の胸は相変わらずざわざわとしている。
 虚偽を操るのも忍の技とはいえ、生来からの実直過ぎる質に加え、良く言えば細やか、悪く言えば少々神経の細い嫌いのある作兵衛にとって、誤魔化すというのは不得手な分野なのだ。

「……そうなんですか」

 一先ずの曖昧な返し。
 箸の先が、皿に当たって小さな音を立てる。漬け物はもうない。飯をかきこんだ。

「うん。高坂さん、兄の方は……綺麗なんだよ。こうシュッとした感じの美男子でなぁ、隙が無いというか卒がないというか」

「いや、あいつも……」

 作兵衛は言いかけて、言い淀む。
 あいつも、
 凪雅も、何だと言うんだ。

「んー……いや、凪雅君がどうって訳じゃないけれどさ、見た目の感じが違うというか」

 守一郎は、作兵衛の言い淀んだ部分をそう拾った。

「黄昏時の人等には俺、世話になったから、また機会があったら話してみたいな」

 人当たりの良い守一郎が笑顔でそう締めくくってくれたので、作兵衛は少し安心する。

「今は実家に帰ってますが、その内戻ってくると思いますよ」

 安心して、笑顔でそう答えた。

 その直ぐ後に、脳裏に過ったのは、あの小さな烏猫を見下ろす横顔と、殴り飛ばされ赤黒くなった頬の奥から光る眼だ。

 三之助ら同輩を連れて、保健室に様子を見に行った時に、組み手の相手は奥に寝て、それに殴られた凪雅は赤黒い頬を歪める様に作兵衛を見た。

「男前になったじゃん」

 三之助の軽口には小さく笑い声を立てて、作兵衛は先程の凪雅の表情が笑顔だったのだと気付いた。
 保健医の新野洋一は、そんな凪雅の頬の傷を白い当て布で押さえるのだった。
 凪雅の姿勢は、ずっと真っ直ぐなままだった。

 誰にも媚びず。
 へつらわず。

 三之助は彼女を『毒獅子』だと言ったが、作兵衛は凪雅に『獅子』の激しさは感じない。
 獣だと、言うならばそれは、高潔な何かだ。
 嵐の前にいる、何か強いもの。

 いや、我ながら情緒が過ぎる。
 記憶の中では如何様にも色が着くもんだ。

 作兵衛は飯椀に残った米粒を丁寧に食べながら、その考えを小さく笑い飛ばすのだった。


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