花と嵐

□近付いて見れば存外単純
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 あの平とかいった六年生殿も派手な容姿だったが、今目の前にいるこの男も中々に華やかな見目をしている。駄犬もとい陣内左衛門も容姿だけならば家中の姫君の目を引いていたものだし、まさか忍びには容姿も重要なのだろうか。
 と、凪雅は思った。同時に、今のは我ながら意味も無い下らぬ考えであるなとも思った。
 優美な姿の者がその腹の内も同じく優美だとは限らない。表に見せているものが必ずしも宛にはならないというのが凪雅の考え方だ。
 凪雅がじっと、その件の華やかな見目をした六年生を見ていれば、整った顔立ちを僅かに歪めて、
「六年い組の綾部喜八郎」
と、名乗るのだった。
 淡々と聞こえるその声色、何処か飄々としたその口調の方が、まだよほど人となりを表している様に思う。凪雅は笑って礼を言った。相手は笑わなかったし寧ろまた少し顔を歪めもしたが、正門まで送ると踵を返すのである。
 喜八郎の結い髪は量の多い緩やかな癖毛で、それがゆわんと背に揺れるのを見ながら、凪雅もまた歩きだそうとした。ふと、左足首に違和感を覚える。違和感はやがて痛みに変わってきた。捻ったか、と凪雅は片目を僅かに眇る。当て布は取れているが、その片目は赤く、その下の傷は瘡蓋になって頬は未だ腫れてもいた。
 喜八郎は先へと歩き続けている。痛みといっても然程強いものでもないから良しとするか。と、凪雅は思う。更に言うならば、仮にも武士の子が、間抜けにも穴に落ちた上に捻った足が痛いなど恥の上塗り、情けないことこの上無しと思ったのだ。つまりは、痩せ我慢という奴である。凪雅にとって、痩せ我慢は昔からごく当たり前にしてきた事だった。

「……もしかして、怪我した?」

 だから、凪雅にとって喜八郎がそう振り返った事は想定外に早急で唐突にすら感じた。
 凪雅を見返す喜八郎はじとりとした目をしていた。凪雅は、それにまた顔をくしゃりと歪める様な笑みを返す。
「大事ございませぬ」
と、答えれば、喜八郎はじとりとした目を引っ提げながら此方へとやってくる。
 そして、歩み寄りながら、何の躊躇いもなくひゅんと踏み鋤を振るい、凪雅の左の足首をとんっと軽く叩いたのだった。

「ぎゃっ!!!」

 不意打ちだ。
 だから、痛い。
 痛くて、叫んでしまった。
 飛び上がる気分だったが、実際は飛ぶことも無く尻餅を着いた。

 喜八郎は呆けている凪雅を見下ろしている。目は相変わらずじとりとしているが、他は妙に無感情に見えた。

「罠で怪我した後輩を歩かせたら此方が怒られる」

 そう独り言の様に呟いた喜八郎はくるりと凪雅の前に背を向けてしゃがみこむ。意図が分からず、何をしているのだろうかと凪雅がその存外に広い背を見ていたら、その背の向こうから出会ってはや三度目の舌打ちが聞こえた。

「ぼけっとしてないで、さっさとおぶさりなよ。置いていって良いというなら構わないけど」
「……おぶされ、というのは喜八郎殿が儂を背に負うという事か」
「他に何があるというんだか」

 早くして。と、再度促され、凪雅は迷いながらも喜八郎の肩に手をかけて身体を少し預ける。
 途端、喜八郎は横向きに持った踏み鋤で凪雅の膝裏を掬う様に持ち上げて背負い上げて、また元のように歩き始めるのだった。
 凪雅は喉の奥からくつくつと笑いが込み上げてきた。何やら不思議と愉快になってきた。

「なぁにがおかしいの。変な奴」
 喜八郎の声は憮然としている。
「失礼。痛みに叫んだのも、誰かの背に負われたのも随分久しぶりだったもので」
 凪雅は、笑う。
「変な奴」
 喜八郎は、笑わなかった。

 そうして、凪雅の笑いが収まり、暫くしてから喜八郎の歩みが止まる。

「どうされた」

 凪雅は肩越しに前を見据える。向こうから誰かがやって来た。制服の色からして喜八郎と同学年。

「……面倒だ」

 喜八郎は唇をちょんと尖らせた。
 その向こうからやって来る某は、凪雅と喜八郎に気付いたのか、おおいと声を上げながら大きく手を振る。その手の振り方も声も伸びやかな青年だった。

「喜八郎、今日の反省会忘れてたでしょぉ」

 まだ完全に近づいてもいないというのに青年は伸びやかな声を張り上げながら喜八郎に問う。表情は春の日向を思わせるふんわりと柔らかい笑顔。
 喜八郎は無言で首を横に振る。
 青年は残り五歩を大股に歩み寄り、喜八郎の前へ立つ。途端、垂れ目がちの目をくりっと見開いた。
「あれぇ」と、首を傾げながら青年が見るのは喜八郎の背に負われている凪雅だ。

「編入生の高坂凪雅と申します。お初にお目通りのところこの様な状態で失礼」

 凪雅が首だけをへこりと下げながら青年に名乗れば、青年は、ああ!と明るい声を上げた。

「やっぱり!初めまして。会えて嬉しいよぉ」

 春の日向の笑顔を着けて青年は、自分は六年は組の斎藤タカ丸だと名乗るのだった。

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