花と嵐
□気に食わねども良しとする
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次屋三之助はうすぼんやりしてる様で、腹で何を考えているかが分かりにくい。
もぐもぐと呑気に饂飩に浮いた油揚げを食べている横顔を見下ろしながら凪雅はそう思った。
凪雅から見た三之助はとんでもないうつけものの様にも見えるし、逆に賢しい食わせものの様にも見える。
「どーした?座れば?」
じろじろと見過ぎていたのだろう。三之助は饂飩から顔を上げ、凪雅を見てそう言って、よいしょと口に出しながら長椅子の席を少し横にずれた。
「腹減ってんなら厨になんか余ってると思うけど……饂飩は多分無いぞ」
「いや、腹は減っとらん」
物欲しげに見られたのだろうか。
だとすれば心外である。眉を潜めれば、片目の下の瘡蓋が引き釣れた。
取り合えず、三之助が空けた隣へと腰を下ろす。ふと、顔を上げれば向かい側に座る作兵衛と目が合った。
「合い席失礼」
と、会釈すれば、向こうからもぎこちない会釈が返ってきた。
「傷、もう良いのか」
と、作兵衛が自分の目元を指差しながら聞いてきた。
「ああ、もう塞がった」
「へえ。早いな。まだ目は赤いが」
三之助の向こう側から左門が此方を覗き込んでくる。
「儂は血の気が多い故、直ぐ瘡蓋になるらしい」
向こうで奥医者に言われた事をそのまま言えば、何が可笑しいのか三之助が小さく笑った。
「……で、話ってなに?」
小さく、軽い笑い声を立てた後、三之助はどんぶり鉢の汁をぐびぐびと飲み干して、そう凪雅に聞いてきた。ごとりと机に置かれた鉢の中身は綺麗に空っぽである。
「此処では少し障りがある」
「あらま」
席に着いても尚、三之助の方がまだ少し身丈がある。垂れ目がちの相貌に覇気というものは全く無いが、のらくらと此方の気力を削ぐようなものを感じさせた。三之助は汁に濡れた唇を舐めて、にやっと笑う。
「なぁんか、やらしぃ。その言い方」
「は?」
笑いながら、三之助は良く分からない事を言い出した。途端、視界の端でぶふぅと音を立てて作兵衛が噎せ返った。
「儂の家に関わる話であるから此所で話すのは憚るというだけだ。疚しい事があるわけでも……おい、大丈夫か」
何やら勘違いをしているような三之助に説明しようとしても、目の端では作兵衛が何時までもげほげほと咳き込んでいるものであるから気になって仕方無い。
「作ちゃん、作ちゃん、落ち着きなって。ほら、水を」
「だっれのせいだと思ってやがるっ!!」
三之助が自分の飲み差しの湯飲みを差し出せば、作兵衛は飛び掛かるようにその頭を叩く。湯飲みは落ちて、びしゃりと机を濡らした。
此処も此処でかしましいなと、凪雅は顔を歪める。呆れた苦笑と辟易したしかめっ面の間の様な表情だ。
「なあ、その話というのは、私達も聞いて良いのか?」
懐から出した手拭いで机を拭きながら左門が聞いてきた。凪雅は構わんと頷く。
「構わんが、それ程面白い話という訳でも無いぞ」
「別にそういう期待はしてない。黄昏時の土産話も聞きたいと思っただけだ」
そう左門は笑い、三之助と作兵衛と自分の膳と鉢をちゃっちゃと重ねて配膳台へと戻しに行った。
「おばちゃん。ご馳走さま!」
と、元気良く厨に声を掛けて足早に戻ってくればむんずと凪雅の腕を掴み引き上げた。
その遠慮の無さに凪雅は驚くが、悪い気を覚えないのは左門の笑顔が明るく無邪気な為かもしれない。なるほど人徳かと、引かれるままに立ち上がりながらまた顔を歪める。今度はより苦笑に近いものだった。
「では、月見亭にでも行こう」
「うん、そうすっか」
左門は凪雅の腕を引いたまま歩き出す。三之助もその隣を歩き出す。すると、背後から「ちょっ、待て!」という怒鳴り声。
「お前ら勝手に行くな!」
食堂から廊下へと出た凪雅達の背後へ迫る慌ただしげな作兵衛の声と足音。
「そんな心配せんでも大丈夫だって作ちゃん」
と、三之助。
「そうだ。幾ら変わらぬ栃の実だろうが目くそ鼻くそだろうが勝手知ったる五年目の学園内だぞ?迷うはずが無い!月見亭はあちらだ!」
と、左門は自信ありげに彼方を指さす。
「いや、何言ってんだ。こっちだろ」
と、三之助はまた別の方を指差した。
「どっちも違え!!態とか!?態となのか!?」
作兵衛の怒鳴り声が廊下に響き渡るのだった。
凪雅の顔にまた歪むような苦笑が浮かぶ。
「苦労をしとるんだな」
そう作兵衛に声を掛ければ、「ん、いやまあ……」と、ぎこちない返事。それからふうっと溜め息を着いた作兵衛は、三之助の腕と、未だ凪雅の腕を掴んでいる左門の腕をそれぞれ掴む。
「月見亭ならこっちだ」
「なんだそっちだったのか」
「惜しかったな」
「一寸もかすってねえよ」
二人の腕を引きながら作兵衛は歩き出した。成りの大きな青年ばかりが三人、それに更に引かれて歩く凪雅。中々に珍道中な見た目に思えたが、三之助も左門もけろりと気にする風でもなく素直に引かれるまま歩いているし、道中で通りすがる他の生徒達もこの光景を大して気に止める風でもないのだった。
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