花と嵐

□雨が降れば風も吹く
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 六年い組の平滝夜叉丸は、己の待ち人が思っていたよりも早くやって来た事と、かつ迷い無い足取りで長屋の廊下を、縁側に座る自分を目指して歩いてきた事に少なからず驚いた。
 何せ、彼の待ち人は後輩の次屋三之助。通称『無自覚な方向音痴』だ。
 事が早く済んだとしても、肝心の報告の為に己の元へ辿り着くまで何れ程の時間が掛かるものやら分かったものではない。縁側で武器の手入れでもしながら気長に待つつもりだったが、食堂を出ていってから半時程しか経っていないではないか。

「お前も成長したものだなあ」

 と、彼にしては珍しく、それはもう本当に珍しく、素直に感心した声を三之助に掛けてやれば、三之助は不思議そうに目を瞬いてそれからへらりと笑う。嬉しげというより、呆れた様な笑みだった。

「いや、つい其処まで作兵衛に連れて来られてますよ」
「なんだ。誉めて損をしたな。いい加減富松離れをせんか」
「それは作ちゃんにこそ言ってやってください」

 成る程な。と、またも珍しく、滝夜叉丸は少しばかし感心した。
 富松もまた次屋離れをしていない……と言うのか。図体だけの三之助にしては、珍しく皮肉が効いているではないか。いや、これもまた無自覚故の発言なら小憎らしい事この上無いが。
 三之助、そして三之助と双璧の『決断力のある方向音痴』の通り名を持つ神崎左門、件の富松作兵衛。
 付き合いの長さや当人達の気質の妙か、上級生となった今では三羽烏に例えられる程の三人組。実態は昔と変わらず、作兵衛が二人に振り回されている様である。だが、その本質は、また少し違うのかもしれない。
 二羽の烏を必死に籠の中に閉じ込めておこうとする作兵衛の姿や、また逆に、開いた籠から出ようとせずに鳴き声を上げる烏を愛でる迷子双璧の姿を、滝夜叉丸は何となく想像してみる。これは、中々、あの三人の本質を良く表した姿ではなかろうか。流石、自分は洞察力に優れている。まあ、学園随一の優秀者であるが故、当たり前だろう。
 ……とはいえ、こんなのは、外から見た者の妄想、私見にしか過ぎない。
 勝手に危うさを感じようとも、私に実害が無く彼らは彼らで納得の上ならばどうという事も無い。ふむ。高い洞察力に加えてこの冷静な判断力……我ながら計り知れないこの実力。時折、怖くなるな。

「……私は、何処まで行ってしまうのだろうか」
「取り合えず、お望み通りに報告に来てやってんすから、戻ってきてください」

 何時もお馴染みの事ながら己に酔い独り恍惚とする滝夜叉丸に対しての、三之助の表情は崩れる事も無い無表情だった。諦感と慣れの成れの果て、という奴である。

「ああ、そうだったな。折角珍しくもお前が早くやって来たんだ。時は金なりさっさと話せ」
「今時間食ったのは寧ろあんたですけど……じゃあ、報告します。明後日、俺達は凪雅を連れて逢魔ヶ時に潜入調査に行きます。以上報告終わり」
「終わるな阿呆」
「さっさと話せ言ったのはそっちでしょう」
「端的過ぎるわ。経緯と詳細をつけんか」

 滝夜叉丸がじとりと睨めば、三之助は大袈裟な溜め息を吐きながら頭をバリバリと掻いた。
 まるで仕方無しとでも言いたげな面倒臭さを全面に出したその態度。昔から不敬な奴ではあるので慣れたといえば慣れたが、腹立たしい事に代わり無い。

「三之助。忍の価値とは、如何に正確に、そして早く情報を伝えられるかだ。お前、私が仮にお前の上司や雇い主だとしてもその様な態度を取るつもりか。気安立てにしてくれるのは嬉しいが、時と場合を考慮しろ」

 加えて今は昔とは違い、腹立たしいだけでは無く、先輩として滝夜叉丸はそれを諌めねばならないのである。
 三之助の表情がそこで初めて微かに歪んだ。悔しげなそれは、全き反抗期の子供のそれだと滝夜叉丸は思う。然しながら、それもこの成りばかりでかくなってしまった餓鬼は無自覚なのだろうな。とも。

「分かりました……では、改めて報告します」

 言い返してこない分、昔よりはマシになった三之助は、しかめた顔のまま、事の経緯とあらましを話し出すのであった。

 曰く、逢魔ヶ時の鉱山による利潤は全て黄昏時のものになる約定あり。
 然し、逢魔ヶ時が件の新鉱山を発見した報告は黄昏時に未だ届いておらず。
 よって、逢魔ヶ時が鉱山利潤を自国のものとしている疑いあり。
 そも、逢魔ヶ時にまこと、新しく発見された鉱山なるものがあるのかも不確実。
 なので、高坂凪雅は、その調査に逢魔ヶ時に潜入する事を決めた。それに次屋三之助を初めとした五年生の幾人かも着いていく事となった。

 といった内容の、三之助の報告を、滝夜叉丸は神妙な面持ちで聞いていた。

「……で、これで本当に以上。報告終わりです」
「少し聞きたい」

 話を締め括った三之助の前に、滝夜叉丸は芝居がかった仕草で一本の指を立てる。

「高坂凪雅の潜入調査は個人的なものか。黄昏時の要請があっての事か」
「……あー……半々ってとこですかね」
「半々」
「今回、潜入すると決めたのは凪雅の独断です。ですが、その経過や結果次第では」
「黄昏時は動く。か。では、もう一つ確認したい」
「どうぞ」
「高坂凪雅は、潜入の件を黄昏時に報告するのか」
「それ、どういう意味で聞いてますか」
「事前報告か事後報告か、と聞いている」

 三之助は、先程と同じく不思議そうに目を瞬いた。

「いや、言い方を変えよう。高坂凪雅に報告の意思はあるか。お前から見てどうだ三之助」

 三之助は片眉を僅かに上げた。

「……必要があれば、報告するんじゃないですか?」

 滝夜叉丸は、最初からずっと縁側に座したまま、隣に立つ三之助を見上げている。
 この時も、じっと鋭い目付きで三之助の何処か飄々とした顔立ちが作る不思議そうな表情を見ていたが、やがて小さく息を吐いて、視線を外した。

「高坂凪雅は、自国に関わる事柄であっても、黄昏時忍者隊に確認を取らずして独断で動ける。ある程度行動に自由の効く人物……そんな可能性は無いかと、そう思っただけだ」

「そうですか」

 手元を見下ろす滝夜叉丸に落ちてくる三之助の声は軽く乾いて抑揚が少ない。
 とはいっても、これが三之助の喋り方だ。生来のものであるこの喋り方の癖は、己の腹積もりを易々と見せない忍としては恵まれていると言っても良いかもしれない。

「まあ、良い。逢魔ヶ時の件はまた報告に来る様に」
「はい。じゃ、失礼します」

 衣擦れの音。
 床の軋み。
 気配が廊下を歩き去っていく。
 何処へ行くつもりなのかは知らぬが恐らく独りでは目当ての場所まで辿り着くのに苦労するかもしれない三之助を送ってやるべきだったかとも思ったが、思うだけで、滝夜叉丸は何事もなかった様に懐から戦輪を出し、最初に考えていた己の得意武器の手入れを徐に始めようとする。

 その時、ふと、何かしらの戦闘音と怒声を聞いた気がして、滝夜叉丸は軽く顔を上げる。然し、その様な音はこの学園ではそれなりの茶飯事だ。
 緊迫したものも感じないので、何処かで某が鍛練でもしているのだろうと、再び戦輪に目を落とし、そこにぼんやりと映る己の完璧に整った目鼻立ちを内心称賛しながら、その刃を磨き始めたのだった。


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