花と嵐

□雲が掛かれば晴れ間もある
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 三反田数馬(現在女装中)は、たった今、自分の目の前を駆け抜けていったその影を追い始めた。それは驚きに突き動かされた行動で、再会を喜ぶ気持ちや懐かしむ気持ちはその後から沸いてきた。とはいえ、その喜びには些かの複雑な思いもある。

 その影。薄汚れた行者姿の、癖のある髪、細身な様で広い背。
馴染み深いそれらを、数馬が見間違えようがなかった。
 先代の、保健委員会委員長、元六年は組。忍術学園卒業生。名を善法寺伊作という。

 行者姿の背は、往来の中を殆ど飛ぶように駆けていく。
 あっという間に小さくなっているそれに追い縋ろうとした数馬は、その瞬間、後ろに強く引かれてよろめいた。

「うわっ!」
「かずよ!いきなりどうしたんだ!?」

 数馬の女装用の呼び名を呼びながら、肩をつかんで引き留めているのは、数馬の同輩、浦風藤内。
 狼狽多分の顔は、さも連れ合いの様子がおかしいことに驚いているかの様。だが、数馬の耳にはその言葉の裏に隠れた微かな音を拾っている。
 は組同士の取り決めである矢羽音に乗せられたのは、数馬の言動が目立ち過ぎるという苦言だった。

「……も、申し訳ありませぬ」

 振り返れば数馬の目に映る同輩の面々。
その内の一人、深紫の被衣に顔を半分隠した娘姿の者を見て、数馬は小さく息を吐いた。
 い組の編入生、高坂凪雅の実態は、黄昏時城主黄昏甚兵衛の娘……ながらも嫡子として元服した姫武将。
 凪雅がこの日、己の性別に準じた格好にしている訳は、彼女が言うところ『逢魔ヶ時の息子には面が割れておる』で、あった。逢魔ヶ時の息子とは、言葉通り、逢魔ヶ時城主逢魔ヶ時曲時の嫡子である。
 逢魔ヶ時は黄昏時の属国である。然し、その様な力関係も何時引っくり返るのかは分からないものである事は数馬達も良く分かっている。
 凪雅の忍術学園編入は公となるのには障りがある。
 だが、それがどの様な障りであるのか、そも凪雅は何故に学園に身を寄せているのか、一生徒でしかない数馬とその同輩達には計りようもないが、それが黄昏家中の内情と関わる何やら厄介な事柄なのだろう事もまた、考えずとも分かる話である。
 だからこそ、今回の『逢魔ヶ時に新しい鉱脈あり』についての調査に対しては慎重に取り掛かるべきである。

 そこまでを、此処に至るまでに同輩達皆と確かめあったというのに、と、数馬は取り乱した己を反省し、ぐっと顔をしかめた。
 するとその時、俯き加減の数馬の頭上を間延びした声が響く。

「然し、藤の字殿ぉ。あれに走って行かれましたのは、かずよの兄者の様でしたぞ」

 ろ組の次屋三之助が助け船を出してくれた様である。
 手を目の上に翳して見ている方向は微妙に違うように思うが、有り難い事に変わり無い。数馬も藤内も、表情が少し緩んだ。三之助は座学が今一つ所か今二つくらい、無自覚な方向音痴という厄介な欠点も持ち、『独活の大木』と揶揄される事すらあっても、こういった咄嗟の機転が効く奴なのである。端的に言えば、実戦に強い。

「そうなのです。御嬢様の外出中に勝手を致した事は重々失礼と思っておりますが……」
「かずよの兄者は確か随分と前に出奔したのだったなあ」
「はい、唯一の肉親でございます」
「それは、さぞかし心配だったろう」

 そんなやり取りの中にも、一人を除く五年生一同の間で密かに交わされ続ける、今度は五年生取り決めの矢羽音。

 曰く、善法寺伊作先輩がこの辺りをふらついている理由とは何か。
 曰く、旅の医師であるが故では。
 曰く、まあ何が理由であれ、今、彼の人が何処へ向かったかは分かる。
 曰く、確かめたい事もあるから自分は接触したい。

「さっきからその妙な音はなんのつもりか」

 急に割って入ってきた声に、一同はぎくりと矢羽音を止める。
 除かれた一名、凪雅。生まれも育ちも武家である故に、矢羽音は習得はもちろんの事、意味も分からない。然し、その密かな音に気付いたというのは流石は武人を志す者というべきかと数馬は苦笑した。
 とはいえ、どう説明したものかと、数馬は、そして恐らく同輩達も出方に迷った。
 そうして曖昧に苦笑を浮かべたり、ひきつらせたり、顔を見合わしている面々を、凪雅はじろりと見回す。本人にそのつもりは無いのだろうが、被衣の影から覗く目付きとへの字の口のせいで憮然と睨み付けている様に見える。
 ろ組の富松作兵衛が更に顔をひきつらせたのが数馬の目の端に映った。
 然し、やがて、凪雅は首を傾けながらふっと息を吐く。

「……まあ、良かろう。かずよ」
「はい」
「お前がどうしてもその兄君に会いたいというならば、参ろうではないか」

 そう、口の端を歪める様な笑みを浮かべた凪雅は、何かを察しているのかいないのか。

「ありがとうございまする」

 分からないが、数馬は一先ず、下女の顔となり、深々と凪雅に頭を下げるのであった。

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