花と嵐

□水は戻らず河は行く
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 忍術学園で六年間を学び、そして無事に卒業した善法寺伊作の卒業後の身の振り方は所謂『諸国行脚』といったものであった。

 旅の医師、実の所忍者、という彼が最終的に目指していた所はmedico(メディコ)と南蛮で呼ばれる戦場においての負傷者の治療を専門とする者であったらしい。
 そんな目標を胸に、修行の為に諸国を巡る彼。それも、ただ当ても無くさ迷っていたという訳でもなく、具体的な場所においても目指す所を持ってはいたのだが、諸々の事情が重なり、現在は逢魔ヶ時とその周辺に足留めを食らっている状態。なのだそうだ。

「諸々の事情……というのは、話すと凄く長くなってしまうのだけれど」
「ええ、大体の予想は着かなくもないので、大丈夫です」

 かつて保健委員会において伊作の直属の後輩であった、現在、五年は組の三反田数馬は、そう伊作に頷きを返して、それから繁々とその顔を眺めた。

 逢魔ヶ時領は丑時ヶ原にある日中寺。逢魔ヶ時周辺に足留めを食らう伊作が身を寄せているこの禅寺の仏堂に、数馬と伊作、そして数馬の同輩達六名が集まっていた。
 伊作と彼等の再会のきっかけであった鉱山滑落の怪我人達の治療も大分落ち着き、鉱夫達の殆どは雇い主や家族やらに引き渡された後である。
 一息吐きがてら、偶然に会った旧い知り合い達と話がしたいと寺の和尚に伊作が申し出れば、この仏堂を与えられ、白湯まで出されるという丁重ぶりなのであった。

「ご健勝何より……と言えば良いのでしょうか」
「まあ、息災ではあるよ。この時世に、私の様な生業で、命があるだけでも有難い話だ」

 そう小さく微笑む伊作の、その表情や顔立ちの雰囲気は、かつて数馬が良く知っていたものと少なからず解離している。

 ただ暖かで柔らかいものしか無かった様な、かつてのそれとは違い、何処か草臥れたそれ。ふくふくとした頬が痩せているのは精悍に見えなくも無かったが、昔はあまり気にならなかった吊り目を目立たせている。そんな目元を渡る、うっすらとだが確かにある隈、なんてものは彼では無く彼の同輩にお馴染みのものでは無かったか。見たことも無い細かい傷も幾つか、顔や腕や手にある。何時から、この人は、自分を『私』と呼び始めたのだろう。

 そこまでを思って、伊作がもう一度、自分に静かに微笑んだのを見た数馬は目を伏せて、手元の湯飲みに口を着けた。
 そう、彼の卒業から二年は経っているのだ。変わっていないという筈が無くて、寧ろ、伊作言うところの『この時世』に再び逢えた事を、喜びこそすれ、気落ちめいた感傷は、相応しくは無いだろう。
 喉を生温い湯が湿らしていけば、今更ながらに喉が乾いていた事に気付く。
 渇きが癒えるのに合わせて、己の気持ちを切り替え、数馬は漸く、懐かしい先輩ににこりと微笑みを返すのだった。

「然し、数馬達が五年生とは、皆結構、様変わりもしていて、もうそんなになるのかと正直戸惑ってしまうなあ」

 自分がさっきまで思っていて、呑み込んだものをあっさりと吐き出すその声の響きと笑みに漂う、無防備な呑気さは全く変わりが無くて、こういう所が敵わないんだよなあと、数馬の笑みには苦いものが混じるのだった。

「にしても、なんで鳩の行者なんて呼ばれてるんですか」

 数馬より少し後ろに座る者からの問いに、伊作は顔を向けて、少し目を細めてから何て事無いよと首を横に振る。

「君は、神崎か。此処に来た時に怪我をした山鳩を拾っていてね、そこからの呼び名だ。何がなんでも名を隠さなきゃいけない訳でもないけれど、何かと都合も良いだろうしそのままにしているだけだ」

 それから、伊作の眼差しは、神崎左門の隣へ移る。

「翼を少し痛めていただけで、ついこの間、元気に飛んでいったよ。君は今でも生物委員なのかな、伊賀崎」

 伊賀崎孫兵は、ビィドロを思わせる眼を瞬いて、小さく笑みを浮かべた。

「別に気にしていた訳ではありませんが……ええ、そうですね。あの委員会をおいて、僕が入れるものはありませんので」
「孫兵は、今の委員長代理なんですよ」
「そうか。竹谷と同じ立場になる訳だけど、あの一年生……今は三年生だね。彼等も、今もいるのかな」
「はい。お陰様で随分しっかりしてきましたので人手的にはかつてより随分と楽になりました」

 伊作はゆっくりとそれに頷きを返して、また部屋の中に座する青年達に目を向ける。

「富松、だよね……そう、この間留さん、留三郎に会ったよ」
「食満先輩にですか」

 思わずといった風情で、少し身を乗り出した富松作兵衛の、かつてより大人びた顔立ちに、何処か幼げな喜色が過る。

「ああ、もう少しして、仕事が落ち着いたらまた学園に行くつもりだと言っていた」
「そう言って昨年も来てくれたんです」
「作兵衛も守一郎も良くやっている、作兵衛は俺以上の委員長になるってさ。本当に、後輩好きは相変わらずだよね」

 面映ゆげに頭を掻く作兵衛に、暖かい眼差しを向けているのは伊作だけではない。

「次屋は随分背が伸びたんだな。今なら小平太を抜かしそうだ」

 暖かいというよりは、ニヤニヤと作兵衛を見ていた次屋三之助は、その言葉にすんと鼻を鳴らす。

「まあ、お陰様といいますか、上級生の中じゃ一番背が高いですね。忍びにくいすけど」
「何も身を隠すだけが忍のやり方では無いよ」

 小さく息を吐く音が聞こえた。伊作はそちらへ目を向ける。

「直属の数馬だけじゃなくて、僕らの事まで覚えているとは、驚きました」
「うん、そういう君は浦風か。私も我ながら驚いてるよ。保健委員会として色んな生徒と関わってきたからかもね……それに、数馬を覚えてるんなら他だって充分覚えてられるよ」

 最後はにやっと笑った伊作に、五年生達もまた親しげな苦笑やにやり顔になる。

「はいはい。どうせ存在感が薄いですよ」

 数馬が態と拗ねた様な声を出して、仏堂には穏やかで暖かな笑い声が広がるのだった。
 それから、ふと、伊作は最後の一人を見る。

「ただ、申し訳無い事に、私は君だけが、どうにも見覚えが無いんだ……」
「ええ、それもその筈でございましょう」

 最後の一人は、褐色ぎみの肌を切り開いたかの様な鋭い目を細める。
 慣れた数馬等にはその剣呑な表情が彼女の笑みなのだと分かっているが、伊作は僅かにぎょっとした様な少し身動ぎする様な仕草を見せた。

「成る程、編入生か。君の様な人を忘れるとは思えない」
「如何にも。今年、学園に編入致しました、高坂凪雅と申します」
「……君は、忍たま、それともくのたま?」
「そのご明察で如何様にもお取りくだされ」

 数馬は内心、ひやりとしていたが、それは恐らく数馬だけでも無いのだが、高坂凪雅もとい黄昏時城主が息女、黄昏凪雅は、何時もながらに泰然とした風情で伊作に軽く頭を下げるのである。

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