花と嵐

□迷いて、揺らめいて
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 三年は組の皆本金吾の生家は相模の国の武家である。
 気弱で甘えたれの性格を鍛える為にとの父の計らいで、忍術学園に編入したかつての少年は、今や精悍な若者へと成長しつつあった。
 剣術の修行で培われたその立ち振舞いは良く磨がれた刀の太刀筋の様に無駄が無い。ただし、それは刀を手にしている時にこそはっきりと現れ、それ以外の場面に於いては生来の気立ての優しさ、悪く言えば気弱さ、更に言えば苦労性な面ばかりが目立つのである。刀あればこそ勇ましい金吾は、それが無ければ何処にでもいる様な凡庸で少々気弱な少年になってしまうのだ。この、剣士の姿と普段の姿との妙な二面性は、彼の師、戸部新左ヱ門からその技と共に多少なりとも受け継いでしまったものなのかもしれない。

 さて、その金吾が師と慕う件の剣術師範、戸部新左ヱ門に新たな門下生が出来たのはつい最近の事だ。いや、そもそも新左ヱ門は忍術学園の生徒達皆に剣術を指南するのが務めであるから、門下生というならそれこそ学園で学ぶ全ての生徒がそうであるとも言えてしまうだろう。
 それらの内の一人であるその人物を、特に、敢えて『新たな門下生』だと見ているのは金吾である。そう見ている理由は、端的に言うならば、件の人物が自身と同じく剣術に馴染み深げである事と、件の人物に対する新左ヱ門の態度が自身に対するそれと少し似ている様に思ったから。であった。
 武士とは違い、忍にとっては必ずしも剣術は必要な訳ではない。それを特に熱心に取り組んでいるのは、金吾と、そしてその件の人物、黄昏時より来たりし編入生、高坂凪雅の二人である。

 金吾が鍛練にと武道場へと赴けば、最近のお約束の様に、今日も、そこでは空気を切る鋭い音が聞こえてくる。凪雅が、木刀の素振りをしているのだ。それを良く存じている金吾は、口許に微かに笑みを浮かべるのだった。

「凪雅さん」

 金吾が武道場に足を踏み入れれば、凪雅は素振の手を止めて、此方に目を向けて来た。つり上がった目が少し歪む。恐らくは、笑みである。

「金吾、授業は終いか」
「はい。凪雅さんは朝から此処に?」
「いや、儂もつい先程来たばかりだ。例によって戸部先生はふらついておられたので食堂へと送り出した。時期に戻って来られるだろう」
「ああ、それは世話をお掛けしました」

 凪雅の睨んでいるかの様な目付きの鋭さや憮然とした表情に、最初の内は怖じ気づくものがあった金吾だが、幾度か言葉を交わし、共に鍛錬し、時には刀を交えなどする内に、彼の不遜さは当人には悪気も自覚も無いものであることや、見た目に反して存外に気さくな質である事などが分かって来た。今ではこうして、気軽に言葉を交わせるようになっている。

 黄昏時忍軍を出自に持つらしい凪雅の立ち振舞いは、忍よりも寧ろ金吾と同じ武家の雰囲気を感じる。その事を多少疑問に思わない訳では無かったが、その辺りは何かしらの事情があるのだろうと納めていた。凪雅との付き合いは殊更の不具合も不満も無く寧ろ楽しいと思うことが多いのだから、態々敢えてそれを追及する必要は無いだろうと金吾は思っている。
 細かい事は別段気にしない。というと、金吾が委員会で世話になったかつてのあの委員長の信条であるが、金吾のそれは某委員長から受け継いだというよりもかつての『アホのは組』の一員らしい大らかさから来るものだろう。

「毎度の事ながら、金吾のそれは、弟子と言うより妻君の様な物言いじゃな」
「良く言われます」

 凪雅は、また顔を歪める様な笑みらしきものを浮かべると、再び、素振りへと戻る。素っ気ない嫌いもあるが、構い過ぎも構われ過ぎも無いこの空気は慣れてくれば好ましいと、最近の金吾は思っている。
 凪雅の太刀筋は真っ直ぐで、体重の移動にも無駄が少ない。それを少しだけ眺め、さて我も励むかと金吾も、凪雅の隣で素振りを始めるのだった。

「時に、金吾」

 そうして、木刀が空気を切る音のみが暫く続いたその場で、ふと、凪雅が腕を休めぬままに声を掛けてきた。

「なんでしょう」

 金吾もまた動きを止めぬままに聞き返す。多少切っ先の動きにブレが出た事に、眉をしかめた。息を整え、肘の向きを意識して動きを修正しようとする。

「お前、腰元に蛞蝓がついとらんか」
「ふげっ!?」

 修正しようと振り上げた腕から木刀がすっぽ抜け、音を立てながら床を転がっていった。
 すっとんきょうな声を上げてしまった金吾は、放り投げてしまった木刀と自分の腰元とをぶんぶんと首を振る様にして見比べる。見れば、凪雅の言った通りに、帯の上に小さな蛞蝓が鎮座していた。

「あ、あー……」
「薮道でも通って来たのか?」
「いや、これは多分、違います」

 金吾が溜め息を吐きつつ、その蛞蝓を摘まみ上げて掌に置けば、凪雅は目を僅かに眇めた。への字を結ぶ口から声は出ずともその眼差しが饒舌に「良く手に触れるものだ」と言っている。

「こいつは、私の友人の蛞蝓です」

 凪雅の目は更に眇められて、金吾は何とも言えない苦笑を浮かべるのだった。

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