花と嵐

□雀が踊れば木の葉も舞う
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 忍たま長屋の縁側にて、一人の生徒がぽつねんと座っている。
 彼の胡座の内側には壺が鎮座している。青年と少年の間かに見える彼の、存外に大きな手と長い指はその何処かぬめりとした質感を思わせる壺の肌を撫でていた。ひょろりとした上背をゆらゆらと微かに揺らし、それから「やっぱり、一匹いない」と呟く。首を傾げれば、彼の癖のある結い髪は傾げた方向とは反対にひょんと揺れるのだった。

「ナメ助、ナメ作、ナメ子、ナメ姫、なめ五郎、ナメ太郎、ナメ千代、ナメ定、ナメ之新……んんん……やっぱり、ナメ彦がいないよねぇ。ナメ大将、何か知らない?」

 彼、山村喜三太がそう穏やかな声で呟きながら覗き込んでいる件の壺。その中身は見る人が見れば叫声と肌の粟立ちを禁じ得ないだろう。

「ナメ大将もわっかんないかぁ」

 壺の中をぬとりぬとりと蠢いている十数匹はいる蛞蝓のその何れかと会話、いや、端から見れば喜三太が一方的に話している様にしか見えないのだが、とにもかくにも、彼は己が愛玩する蛞蝓達の一匹がいなくなっている事に気付いたのである。

 庭に勝手に出ていったのかしらん。それか…………。と、喜三太は蛞蝓を飼っている壺、通称ナメ壺を持って立ち上がる。

「探しに行こうか。ナメさん達」
「何を探しに行くんだ?」

 不意に背後から掛かった声に、喜三太は大して動じる様子も無く振り返る。勝手知ったる長屋の内であるし、相手は気配も足音も消していなかったからだ。

「ナメ彦を探しに行くんだよぅ。そういう団蔵と虎若は毎度のあれ?」

 振り返った先には、喜三太と同輩である加藤団蔵と佐武虎若が大きな籠を抱えて仲良く肩を並べて佇んでいる。団蔵が抱えている籠には薄汚れた着物やら下帯やらが塊になっていて、虎若の方は何やら形容しがたい雑多なあれやこれやが飛び出んばかり、恐らくはごみくずなのだろう。

「なぁ、本当に母ちゃんも懲りねえっつうか」
「俺達はそれなりに平気なんだからほっといてくれて良いんだけどなぁ」
「あー、そんな事言ってぇ。伊助に言い付けちゃおっかなぁ」

 喜三太がそう少し意地悪気な笑みを浮かべれば、先程までへらへらとしていた二人は途端顔色を悪くし、それは止めてくれと口を揃えて言うのだった。
 団蔵と虎若、如何にも快活な少年といった雰囲気のこの二人、長所は男らしく大らかなところ、短所は少々大雑把で無精ものなところ、加えて似た者同士にして長屋の部屋を同じくしている。二人揃って鍛練に明け暮れるばかりで身の回りの整理整頓を疎かにしてしまう難点は年々顕著になっていき、果ては度々、近隣の部屋の者達から見た目に煩わしいだとか、異臭がどうとか、虫がどうとか、制服が汗臭いだとか諸々の苦言を貰う様になった。
 そこで、ほうってはおけぬと腰を上げたのが団蔵言うところの『母ちゃん』もとい、同輩、二郭伊助である。細やかな気配りができ綺麗好きかつ世話好きである彼の、同輩のよしみからなる厳しい定期検査による強制的洗濯及び清掃日は、彼等三年は組の生徒達の数あるお約束の一つとなりつつあった。

「そんな事より喜三太、ナメ彦ってこの間も脱走してなかったか?」
「そうそう、ちゃんとナメ壺の蓋しておけよ」

 喜三太の『言い付ける』があながち冗談と楽観できない事を良く知っている虎若と団蔵は話を逸らそうとする。
 それに気付いているのかいないのか、喜三太はふにゃんとした笑みを口許に浮かべて小首を傾げた。

「ナメ彦はねぇ、無鉄砲で好奇心が強いから、直ぐ何処かに勝手に行っちゃうんだよ」
「無鉄砲で好奇心が強い蛞蝓か……神崎先輩みたいだな」
「蛞蝓にも性格ってあるんだな」

 感心した様に深々と頷いた二人は、ちらりと顔を見合せ、抱えていた籠を縁側へと下ろした。
 
「じゃ、俺達も一緒に探すの手伝うよ」

 そう中庭に降り立った二人に、喜三太は目を瞬かせる。

「伊助が怒るよ?」
「良いの良いの。友人の愛するナメさんがいなくなったという一大事。素通りなんかできないだろ」
「後、これザバーッて洗濯して、ガサーッて埋めたりするだけだからさ。俺、神崎先輩なら何度か捜索した事あるしそーゆーの得意だぜ?」
「ふぅん? そりゃ手伝いは有り難いけど……でもナメ彦は多分、」

 そこで喜三太は言葉を切った。長屋の入り口を潜ってきた人物に気付いた彼は、ぱっと表情を明るくする。

「金吾!」

 喜三太の同室にて産まれた国を同じくする皆本金吾が、人当たりの良さげな苦笑混じりの笑みを浮かべて此方へと歩いてくる。掌を椀のような形にして胸元で揃えているのを見た喜三太は彼の元へと軽やかな足取りで駆け寄った。

「喜三太、ナメ彦がまたこっちに来てたぞ」
「はにゃあ、やっぱり金吾に着いていってたかぁ」

 金吾の掌から喜三太の指へと、一匹の蛞蝓が乗った。そのぬらぬらとした灰茶の姿を眺めて喜三太は満足気に笑うのだった。

「ごめんねぇ。鍛練の途中だったでしょ」
「流石、金吾。ナメさん達の区別が着くのか」
「丁度良かった金吾ちゃん! 鍛練終わってんなら俺達を手伝ってくんない?」

 三者三様、好き勝手に思った事を喋るのは彼等のみならずこの組の生徒に良くあることで、一年生の頃から変わらない。

「手伝うのは構わないけど下帯は自分等で洗えよ団蔵。虎若、まあその辺は慣れだ。鍛練は、終わったというか、途中離脱というか……」

 故に、金吾は然して辟易する風でもなく、頭を軽く掻きながらそう三人に答えを返すのだった。

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