花と嵐

□ざわめけばもの思う
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 凪雅が構える木刀の先は天を向き、極限まで身体に寄せられている。身体の向きは、左足を前。

 八相構えか。なんというか……うん、こいつらしいな。
 
 作兵衛は胸中でそう呟いた。

  急所は腕で隠され、刀身の長さを相手に見誤らせる。余分な力を掛けない構えは、真剣を持った乱戦に適する。
 彼女が後に大将となるのであれば前戦を駆け回る事などは無いのだろうが、武人として、戦火を背負うのであればそれは斯くあるべき構えの様に見えた。正直に言って、手裏剣やら組手やらに取り組んでいる時の構えよりも遥かに堂に入っている。表情も静かに落ち着いた、余裕のあるもので、成る程これが、彼女の本領発揮なのだと思わせた。

 作兵衛は少し考えてから、下に構えを取った。

 ……ああ、笑っていやがる。

 凪雅の口の端が微かに上がった。それに釣られて作兵衛の口許も知らず歪む。凪雅は作兵衛と打ち合える事を楽しんでいる様で、その緊張と紙一重の喜びや静かな高揚は作兵衛に伝播し、気持ちが明るく研ぎ澄まされていく。
 互いに、鋭い眼差しを携えた笑みを浮かべたまま、暫く睨み合っていたが、やがて凪雅が口許から笑みを消し、踏み込んできた。

 作兵衛からはたった一歩、動いた様にしか見えなかったが、瞬間に間合いは充分に詰められていて、振り下ろされる木刀は確実に作兵衛の胴に届く事に気づく。彼女の動きは、作兵衛の想定よりも速い。
 作兵衛は手首を捻り、剣先を開いて、姿勢を落としながら木刀を振り上げた。攻撃を止められた凪雅が微かに息を呑んだのが分かる。
 互いに擦り合わされた刀身を凪雅は横凪ぎに払い、右足を下げる。作兵衛の突きは凪雅の胴のすぐ脇を通った。
摺り足で後退しながら凪雅は間合いを取り直す。
 作兵衛が振り上げるのに合わせて脇へ構えた。腕が動いたと思い、木刀を払うが然し、途端、作兵衛が後ろへ飛び退いた事で、剣先はただ空を掻く。
 作兵衛の攻撃があるものと思っていたのだろう、凪雅は必要以上に振り切ってしまった木刀の軌道を修正する為に踏み込んだ。
 作兵衛はそこを空かさず間合いを詰め、彼女の脛へ打ち……込もうとしたのを寸前で止めた。
 凪雅の動きは、そこで止まる。
 
 光を放っている様な鋭い凪雅の眼は、自身の足許にある木刀と、それを持つ作兵衛をゆっくりと見比べた。
 凪雅の顔は少しずつ歪む。笑顔を作ろうとして、結局上手くいかず、憮然とする。そんな変化の後に、

「負けた」

 と、吐き捨てる様に言った。

「いや、まだ決まってねぇだろ」
「阿呆をぬかすな。脚をとられた時点で、負けたも同然。真剣であれば、これで儂は死んでおる」
「た、只の打ち合いだろ。んな大袈裟」

 作兵衛は、然し、そこで口を閉じる。目の前の、凪雅の眼差しに、一瞬、息が詰まった。

 そうか。俺は、たった今、こいつを、何時れは一国を背負わんとするこいつを、負けることなど許されない筈のこいつを、殺した事になるのか。

「あ……す、すま、」
「何を思うての事か知らぬが、まさか、儂に謝ろうとでもしておるのならば、儂はお前の脳天をかち割るより他に無いぞ」

 ぐぐぐ。と、作兵衛の喉の奥で妙な音が鳴る。黙り込むより他に無くなってしまった
 少しの間を置いて、凪雅が、深々と溜め息を吐いた。初めて聞いた彼女の嘆息が、張り詰めて重たい空気を僅かに崩す。

「……さても、妙な動き方にまっこと、惑わされた」
「……お、おう」
「何か流派でもあるのか。戸部先生とはまた違う様に見えた」
「んな大層なもんじゃねぇよ」

 表情の険しさを少し緩めた凪雅に、作兵衛は頭を掻きながらもごもごと答える。

「なんつったら良いのか……俺のは剣術なんてのじゃ無くて、取り敢えず死ななきゃそれで良いってだけだからよ」

 凪雅が怪訝そうに片目を眇ていた。作兵衛は顔が熱くなるのを感じながら、つまりな、と続ける。

「つまり、つまりだ。俺は、忍だから、どんな手を使っても生き抜く事を考えろと、そう教えられてんだ」

 作兵衛が、そう訥々と語るのを、凪雅は、静かに聞いて、噛み締める様にじっと下を見て、それからへの字の口をふっと開く。

「どんな手を、使ってもか」
「ああ」
「刀を手にするのならば、それが己の死に繋がろうと文句は言えまい」
「でも、生き残ろうとするんだよ。忍はな」
「そうか……なら、儂は、忍にはなれん」

 すん。と鼻を鳴らした凪雅の、浮かべる苦笑に、作兵衛はどう言葉を掛けたら良いか分からなくなる。

「…………あ、のよ」
「なんだ」
「その、凪雅が忍になりたいんなら、なったって良いと思うぜ」

 違う。いや、違わないけれど、言いたかった事は、聞きたかった事は、こんな言葉じゃ伝えられない。

 凪雅が、また怪訝そうに、片眉を歪める。
 じりじりとした気持ちを持て余した作兵衛は、曖昧に首を横に振る。

「凪雅が、こうしたいって思う、生き方をすりゃ良い」
「…………ならば、それはもうただ一つより他に無いな」

 凪雅が、独り呟く様に言った。

「作兵衛が、何を言いたいのかは分からなくも無いがの。儂は元より、他の生き方等知らぬ上に望む考えなど思い付きもせん」

 嘆く訳でも、憤る訳でもない。ただ淡々とした声で言う。

 貫くより他に無い。

 ほんの数日前に言ったその言葉、やはり己に対する言葉だったのだ。作兵衛が凪雅を見れば、そこにあるのはくしゃりと歪めた、獣じみた笑み。

「儂を哀れとでも思うならば勝手にしろ」
「……別に、そんな事は思っちゃ、いっ」

 不意に、凪雅の指が、作兵衛の額を軽く打った。

「おぬしの此方は、そう言っとる様に見える」

 そう笑う凪雅が、目だけを動かして武道場の入り口を見る。
 作兵衛もまた、大して痛くも無い眉間を撫で擦りながら、其処に何時の間にか立っている後輩達に目を向けるのだった。

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