花と嵐
□千客は万来する
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※オーマガトキ関連の捏造設定あり、オリジナルキャラ(名前のみ登場)描写あり、『黄昏時忍軍(略)嫁』夢主登場(名前変換無し)、本編夢主名前しか出てきません。
黄昏時の末の姫……ただし、男児と扱われている……の、近侍に、全くの不本意ながら勤めることになった高坂陣内左衛門は、更に不本意ながら黄昏時領を離れて、その姫、凪雅のおわす忍術学園から程近い町の、長屋に仮住まいをしていた。
陣内左衛門は忍であるので、主君の下知であるならば、黄昏時領を離れての任務にもつくし、現に今までもその様な事は多々あった上に、今までの遠方任務と比べれば寧ろ彼が今いるところなど黄昏時と目と鼻の先と言っても過言ではない。それでも、彼は、今の境遇ほど、不本意を感じた事は無いと、柳眉を潜めざるを得ないのである。
問題は、実際の距離では無いのだ。
陣内左衛門は、この晩も長屋の土間に膝を落とし、地面に額づいている。額付くその先には、煤けた壁があるのみ。
その生業と生来の気質から、彼は神仏に熱心にすがる心情など持ち合わせていない。彼が頭を垂れているのは壁でないことは勿論、釜殿の神である筈もない。
深い深い伏礼の、その方角には、黄昏時領がある。
城主、黄昏甚兵衛に対してか。否、彼にとって最も尊ぶべき相手は、城主も、今の主である凪雅をも差し置いて、ただ一人。
たっぷりと時間をかけて、ようやく頭を上げた陣内左衛門は、これまた何時ものように微かな溜め息を吐いて、土間から部屋へと戻るのだった。
戻った先には、客人が一人。客人は、何事も無かった風情で戻って来て腰を下ろす陣内左衛門を、目を眇めた、何とも言えない呆れた表情で見ていた。
「……あの、高坂さん」
「なんだ」
「まさかと思いますが、さっきのやつ、毎日やってらっしゃいます?」
「ああ。日課だ」
それがどうかしたのか。と、言わんばかりの陣内左衛門の声色とすんとした表情に、客人、黄昏時忍軍は忍が一人、五条弾は、困った様な笑みを浮かべる。とはいっても自前の顔立ちが元々憂い気味であるから、陣内左衛門からすればそれはただの微笑みにしか見えないのであった。
「あの方は御息災か」
「そうですね……。私も最近は別行動気味でして、なかなかお会いできていませんが、これといってお変わり無いでしょう」
弾は、穏やかにそう答えた。来て早々に、挨拶もそこそこに件の日課であるらしい伏礼を見せられ、いざ終わったかと思いきや此方が本題に入る前に開口一番『あの方は』と来たものである。無礼だと怒っても良いところだろうが、弾は気を悪くする素振りもなく、ただただ穏やかに構えている。
あの方……忍軍忍組頭たる雑渡昆奈門は、陣内左衛門にとっての至上の人であり、弾とてその敬愛を全く理解できない訳でも無いからだ。長年の付き合いからくる慣れも多少ならずある。
「嵐様のご様子は如何でございますか?」
弾の問いに、陣内左衛門は途端に苦虫を噛み潰した様な顔になる。
「……凪姫は、学園に良く馴染んでおられるご様子だ」
男として元服してようが、陣内左衛門は凪雅を『姫』と呼び続ける。
凪雅様を主として認めぬ意思表示なのだろうけれど、頑迷というか、いっそ不器用だ。
と、弾は思う。
「有明の方とは、どういった運びに」
「何を思われたのか、助力くださるようだ」
「それは、重畳」
「……それと、どう嗅ぎ付けなされたのかは知らぬが、姫は先日、逢魔ヶ時にご訪問された」
弾の目が微かに見開かれる。
「曲時と若殿に会われたのですか?」
「いや、ごく内密に、領国に足を踏み入れられただけだ……あの姫はまこと鼻が効く様で、逢魔ヶ時と貴兵衛様の繋がりに目を着けておられる」
「…………凪雅様は、仮にも黄昏家の嫡男としてお育ちになられた方。それぐらいは当にお気付きになられておりますよ。まさか、お一人で行かせてはいませんよね?」
「幸いにも尊奈門から事前に知らせが来ていたからな。無論、隠密に側に控えさせていただいた。それすらもあの姫は予想していた様だが」
「そうですか……」
弾は、小さく溜め息を吐く。
陣内左衛門は優れた忍である。任務とあらば、私情は挟まず完璧にこなす。分かってはいるが、彼の凪雅に対する態度は凡そ主君へのそれとは思えないほどぞんざいであるものだから、どうしても不安を覚えるのだ。
どうして組頭は高坂さんみたいな人を、凪雅様の近侍に命ぜられたのだろうか。と、弾は内心首を捻るばかりである。
「では、その、貴兵衛様の事です」
弾は居住まいを正し、いよいよ本題へと入る。
「近日の内に、学園にご訪問なさる。と」
「……まことか」
「ええ、こちらもまた、尊奈門からの情報です」
次は、陣内左衛門が、目を剥く番であった。
黄昏甚兵衛の弟御、黄昏貴兵衛。
端的に言うならば、凪雅と同じく、黄昏家の次期当主の座を狙う者。
それを良しとしない甚兵衛の意向により、現在は、忍軍の諸泉尊奈門が、貴兵衛の近侍としてその動向を探っている。
尊奈門と本軍との中継に、諜報の黒鷲隊と伝令の隼隊に属する忍ら数名が携わり、そこから、更に内密に、黒鷲隊の弾と、凪雅に遣える陣内左衛門とが繋がっていた。
黄昏家の家督を巡る一連を俯瞰する為のこの繋がりの、全容を知るものは、家中では恐らく忍組頭雑渡昆奈門のみである。
「何を目的に……とは、聞くまでもないか」
陣内左衛門はやれやれと、嘆息する。
弾は静かに頷く。
「凪雅様の学園編入は、家中末端まで知れ渡りし事。概ね、当主の予備から忍の身に落とされた不遇の姫といった認識ではある様ですが…………鼻が効くのは、凪雅様だけではございませんよ」
「……凪姫はうつけ者では無いが、腹積もりを隠す事を嫌うからな。暗に突きつけられた刃を態々剥き出しにして相手に刺し返さんとでもいうのか」
厄介な、面倒な事になったと、独りでに深くなる眉間の皺に指を添える陣内左衛門は、不意に聞こえてくるくつくつとした密やかな笑い声に顔を上げる。
「なにが可笑しい」
陣内左衛門が、弾を睨めば、弾は自前の困り眉を更に垂れさせて、曖昧に首を横に振る。
「いえ、高坂さんがお側にお着きになるならば、安心だと思いまして」
「安心かどうかは知らぬが、あの姫の守りとして私はいるからな……まっこと、本意では無いのだが」
「……お任せ致してもよろしいでしょうか」
「是非も無し」
煩わしげに言い捨てた陣内左衛門に、弾はまたも、密やかに笑う。
本意で無い割には、あの嵐様の人となりを良く理解されている様だけれど。なるほど。ぞんざいではあるが、軽んじてはいないらしい。……なんともはや、やはり、不器用な方だ。
と、胸中に過ったそれらの言葉は呑み込み、弾は陣内左衛門に軽く頭を下げ、音もなくその場を立ち去る。
残された陣内左衛門は、戸口の暖簾が微かに揺れているのを暫く眺めて、それから、また、あの地の方角へと目を向けた。
「………………雑渡様」
彼の唇から、独りでに出てきたその名は、まるで、神仏にすがるかのような響きであった。
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