さて、月霞むその夜を抜け

□とんだ拾いもの
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 畿内の某所、とある深山に打ち捨てられた城跡がある。
 城跡である、と認識するには少々難解である程に、崩れ切り方々に泥濘(でいねい)のあるその場所。

 其処を、浜守一郎は見下ろしていた。
 彼は高い木楢(こなら)の樹の枝に立っている。表情に色は薄く、彼を知る者が、中でも世話焼きな者が見ればあれやこれやと心配を催させる様な無表情ぶりであった。
 然し、それはほんの僅かな間の事で、彼の野太い眉毛は再びきりっと米神を持ち上げる。何時もの、きゅっと引き締まった、元気に溢れ、跳ねっ返りそうでもあり、人好きのしそうでもある青年の表情に戻って「うん」と独り力強く頷き、それから軽く四十尺は地面から離れている枝よりぴょんぴょんと枝伝いに飛び降りていくのだった。
 守一郎は歳の割りには体格が良く、筋肉質な身体は一見重みを感じるが、中々どうして、彼も忍の見習いである。その身体捌きは無駄無く軽やかなもので、地面に着くや否や、さっと音もなく走り出す。

 日暮になる前に帰らなくっちゃあ、と、守一郎は若鹿の様に森を走り抜けていく。
 彼は今日の夕食当番だ。食材は学友が用意してくれているとはいえ、いや、だからこそ、彼は早く帰らなくてはと思う。其処では、彼の日常が待っているのだ。

 張り出した木の根を、びゅんと飛び越えた、その時だった。

「うっ!?」

 守一郎の体勢が大きく崩れる。
 崩れながら感じたのは鋭い肩の痛み、遅れて分かったのはそれをもたらしたのは石礫であるという事。
 何者かが、守一郎に石を投げた。

「誰だっ!!」

 崩れた体勢を受け身と共に立て直しながら空かさず南蛮鈎を構える。
 殺気は感じない。
 然し、確かに強烈な意思を持って、肩に投げつけられた石礫(いしつぶて)が其処に転がっている。それに向けた視線を上げた守一郎は薄暗い木立の間に立つ某かに気付いた。

 女だった。
 忍び装束を身に付けた。くノ一。

「何者だ!」

 守一郎の詰問に答えは返らず、その幽鬼の様な影は、ゆっくりゆっくりと木陰の内を潜り抜け、日の下へと姿を表す。
 
 それを見て、守一郎は息を呑んだ。
 その僅かに俯いた女の忍び装束は至る所が破れ、樺茶(かばちゃ)色の端々に赤黒い染みが、血がこびりついている。
 バサバサと顔に被る髪の隙間からぼんやりとした、然し、突き刺すような視線が守一郎を睨んだ、睨んだ、様に守一郎は感じた。

「…………は…………ま、」

「え」と呆けた声が守一郎から溢れる、己を呼んだのかとそう思った。然し、自分はこの女を知らない。
 髪の間から見える女のひび割れた唇が、また何事かを呟いて、次に守一郎が見たのは女の頭頂。

「あっ」
 
 ほぼ反射的に伸ばされた守一郎の腕は宙を掻き、そこから溢れ落ちる様に女は地に倒れた。
 守一郎はまたも息を飲む。
 女の背を長々と渡る刀傷。

「おっ、おいっ、おい!」

 守一郎は倒れた身体に手を伸ばす。揺さぶるには気が引け、首筋に恐る恐る手を添えた。
 谷川の様な冷たさ。消え入りそうな脈拍。
 それが守一郎の中へすとんと落ち込んで、彼の身体を動かさせる。

「しっかりしろ!」

 懐から取り出したのは六尺手拭い。長い一枚布のそれを女の身体に渡し、引き上げる様にして担いだ。

「うおおおおおっ!」と、気合いの雄叫びを上げながら彼は走り出す。目指すは彼の日常がある場所。彼の学舎。忍術学園である。

 背に担がれた女は、また微かに何かを呟く。

 守一郎はそれに耳を傾ける前に、一刻も早く学園へ帰らんとただひたすらに駆けていくのだった。


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