さて、月霞むその夜を抜け

□迷い路を歩き出す
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 顔立ちは、玄一郎(げんいちろう)殿に似ているけれど、その中身は、違う。当たり前の話だが、オウギは自分の隣を歩く少年、守一郎に対してそう思った。
 裏表の無い、明るさ、真っ直ぐに過ぎるのでは無いかというその眼差し。
 それは、彼女に己のあの、まだいとけない主、結丸君を思い起こさせ焦燥感と胸の痛みを覚えたし、加えて、守一郎の面影は、やはりあのひねくれて不器用でもオウギに暖かく寄り添ってくれた玄一郎の事を思わせた。
 オウギは、守一郎の隣で、そんな焦燥と痛みと安心とが混ざり合った複雑な心情を持て余している。

「着きました。あそこが食堂です」

 守一郎に連れられて着いた場所は、彼等『忍術学園』の生徒や教師達が食事を取る場所らしい。
 守一郎が指差す先、その入り口から聞こえてくる賑やかさ、食事の匂い。

「私も入ってよろしいのですか」
「え。当たり前じゃないですか」

 行きましょうと促されるが、オウギはその漂ってくる明るい気配に尻込みする気分だった。
 守一郎は否定したが、オウギにしてみれば、自分はまだ此処では余所者であるし、招かれざる客人なのだと思っている。
 ふとその時、入り口から数名の青年達が纏まって出てきた。
 松葉の色の制服。見覚えのある顔立ちにオウギは身構える。

「おっ!オウギじゃないか」

 青年達の内の一人が此方へ駆け寄ってきた。獅子の様な垂れ髪をした快活な青年、名は確か、

「七松、小平太、殿」
「小平太で構わん。今日からだったな。よろしくな」

 表情や声の明るさは守一郎と大差なかったが、小平太の方には無防備さは無く、その丸い目は未だ微かにオウギを探る気配がある。
 そして、小平太の背後から感じるのは更に明らかな懐疑と敵意だ。
 オウギは、それを向けている者達を真っ直ぐ見返す。分かりやすいそれに寧ろ、安心すらする。
 見返せば、その内で、隈のある目元をした方……確か、潮江文次郎とかいったか…………が、更に目付きを険しくして睨み付けてきた。
 
「湊川オウギ」
「はい、そちらは潮江文次郎殿、でしょうか」

 表情の変化からして、その名で合っていた様ではあるが、文次郎はそれには答えず、ただ威圧的にオウギを睨む。

「俺達は学園長先生の意向に声高に異論を唱えれないだけだ。妙な動きを見せればどうなるか分かっているな」
「ええ、その時はどうぞ。切り捨てなさいませ」

 そう答えれば、文次郎は何かを言わんとした口をぐっと閉じる。
 隈の染み着いた文次郎の目はぎろっと守一郎を見る。
 守一郎は一瞬、それに気圧された様に怯んだ表情を見せたが、直ぐにまたあの真っ直ぐ過ぎる明るい表情に戻り、僅かに前へと出た。まるで、オウギと彼等の間に立とうとでもする様だった。
 オウギは知らず眉を潜める。松葉の彼等の敵意より、守一郎のそれは不可解で居心地が悪い。

「分かりやすく敵意を示すな文次郎」
「そうだよ、文次郎。失礼じゃないか」

 文次郎の肩を小突いた流麗な印象の青年は知らぬが、もう一方で宥めるような物言いをした柔和な青年は良く知っている。善法寺伊作は怪我の治療に長く世話になっていた。その他愛なさすら感じさせる優しさはやはり自前のものらしい。文次郎や伊作の周りの青年達は、少し呆れた様に彼を見ていた。

「そうだな。確かに失礼だ」

 唯一、件の流麗な印象の青年が、そう、柔らかな笑みをオウギに向けた。

「六年い組の立花仙蔵です。血の気の多い奴等が迷惑を掛けたら何時でもご相談ください」

 穏やかで見惚れる程に美しい笑みではあったが、オウギはそこに一抹の冷やかさを感じた。守一郎の緊張が先程よりも強くなった。

「お気遣い有難うございます」

 オウギがそう返せば、仙蔵は、真っ直ぐな髪を揺らしながらさっと踵を返す。
 それに着いていく残りの松葉達。
 成る程、どうやら、立花仙蔵が、あの松葉の、六年生とやらの司令塔的存在らしい。
 気付いたとしてどうすることも無い。染み着いた戦忍の性にオウギは自嘲的な気分になる。彼等に刺激されて出てきた己の内の冷やかな歯牙に馴染み深さを覚える事も含めて。

「……あの、」

 守一郎の声に、ふと我に返った。
 此方を気遣わしげに見ている。

「……すみません。その、先輩方も、悪い人達じゃないんです」

 守一郎はいったい、何を言っているのだろうか。オウギは困惑し、その意図を考える。

「……私が、気を悪くしたと思っているのですか」

 思い付いた事を言ってみれば、守一郎は、きょとんと目を瞬かせて、小さく頷いた。
 オウギは、また其処に、幼い主を思い出す。それは、暖かい居心地の悪さだ。

「それでしたら、ご心配に及びません。切り捨てられるべきなら仕方無しと諦めもつきます。理不尽に思えば返り討つのみです」

 オウギは、そう守一郎に答える。
 守一郎は、何かを言いたげに口許をもごもごとさせる。先程と同じ様に、小さく唸る。

「……そう、ならないように、俺がいます」

 守一郎の、意図がやはり分からない。
 分かるのは、胸の内の、居心地の悪い暖かさだ。これに慣らされてはいけないと、そう思う。
 『これ』は、結丸様と、晴重様の為だけにあるものだ。
 私は、早く、結丸様の元へ戻らなくてはならない。

 守一郎の表情が、この時始めて少し悲しげに歪んで、然し、それも一瞬でまた明るい笑顔が此方へ向けられる。

「気を取り直して行きましょう。俺、もう腹が減っちゃって」

 今見ている此れが、この場所が、たとえ今際の際の夢だとしても。

 己が行き着く場所は、とうに決まっている筈だ。

 守一郎が食堂へと入っていく。
 オウギは、やはりその賑やかさに躊躇するが、仕方無しと、それに着いていく。

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