さて、月霞むその夜を抜け

□交わされる諸々
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 四年生達の教室は、此処より下の階にある様だ。そういえば、秀作も一年生と四年生以外の学年へと届け物があった筈なのだが、今の今まで見掛けない。入れ違いになったか、それとも……と、オウギが、脳裏に浮かばせる秀作は「たははぁ」と笑いながら頭を掻いている。『それとも』の先に一抹の嫌な予感を抱きながらも、オウギは細い階段を下って行くのだった。

 降りた先は、上の階同様に教室が並んでいる。だが、上の階とは打って変わって、静まり返っていた。
 並ぶ表札は、六年やら五年……あの子どもらの様に賑々しい筈も無いだろうと思ったが、声や衣擦れどころか気配すら全く無いとは、はて、何処も出払っているのだろうか。オウギの眉間に皺が微かに浮かぶ。一抹の嫌な予感が、更に膨らんだような気がする。
 四年生の教室の前まで来ても、やはり、何処も静まり返っている。一先ず、い組の教室の戸を叩いてみた。返事は無い。だが、オウギの耳は、微かな衣擦れの音を拾った。誰か、一人ばかし、中にいる様だ。
 ほんの暫く迷った末に、オウギはそっと部屋の戸に手を掛けた。

「失礼、致します」

 戸を開いて、部屋の内を覗き見てみる。文机の並ぶ教室は、誰もいない……否、窓側の文机の数脚だけ並び方が他と違っている。文机の向こう側に、誰かが、横たわっている。
 オウギはまた暫く迷ってから、教室の中へ入り、その横たわっている四年生の生徒の元へとそっと近付いた。
 近付いて見れば、文机はその生徒を半ば四角く囲むように並べられている。いや、退かされているという方が正しいのかもしれない。体調が悪いのかと思えば、どうやら寝ているだけらしい。仰向けの胸が穏やかに上下している。窓からの光が煩わしいのか、外した頭巾を目元に被せているので、顔は判らないが、床に広がる髪のうねる癖と色素の薄さには見覚えがあった。

「……ん、ん……なに、だぁれ?」

 たまごとは言え、忍である。オウギの気配に気付いたのか、彼は徐に身動ぎをして、目元から頭巾が擦れる。鼻と唇に頭巾を引っ掛ける様にしながら、そこに現れた眼差しが煩わしそうにオウギを見上げた。

「……なんだ。あなた、ですか」

 重たげな動きで起き上がった、綾部喜八郎は、「くああぁ」と盛大な欠伸をして、口許をごしごしと擦る。

「何か用ですかぁ?」

 まだ眠たげな半目で、じとりと睨むように見られ、オウギは喉に何か詰まった様な小さな声で「事務室で預かったものを、持って参りました」と答えた。

「うん? 僕に?」
「……いえ。いや、はい」
「どっちなの」
「四年生の、生徒の皆様に宛てられたものです。先生方にお渡しする様に仰せつかっております」
「ふぅん」

 喜八郎は興味無さげな声色と表情でありながら、徐に手を伸ばして、オウギが手に持つ紙の束から一枚を抜き取った。

「うわ、まぁた、諜報実習かぁ」

 紙に書かれてある内容を見て、盛大に顔をしかめる。元が整った顔立ちであるから、その歪め方は非常に大胆で、心底面倒臭げに見える。

「今は、四年生は各々自習の時間だから、先生はいませんよ。その辺に置いときゃ誰か気付いて配ります」

 そう、喜八郎は、自分が抜き取った分はぞんざいに畳んで懐に放り込んだ。

「じ、しゅう」
「そ、じしゅー、それぞれ好きに鍛練してます」
「皆さんおられないのですか」
「学園のどっかにはいますよ」

 オウギは思わず、軽く絶句する。そんな事は秀作は一言も……否、教室で授業をしているとも言ってはいなかったが、それでも、何であろう、秀作の事であるから把握していなかったのでは無いかと失礼ながら思うのだった。

「喜八郎殿は、何をされていたんですか」
「見りゃ分かるでしょう。なぁに? 嫌味ですか?」

 惰眠を貪っている様にしか見えなかったのが、『自習』という言葉に噛み合わないと思い、つい訊ねてしまっただけである。不躾と言われればそうかもしれないが、真っ向から『嫌味か』と噛みつかれてもどう反応を返したものやら分からず、目が泳ぐ。
 斎藤タカ丸といい、浜守一郎といい、この学年の生徒はどうにもオウギの調子を狂わせる。

「僕は昨日、遅くまで仕掛罠と落とし穴を仕込んで回ってましたので、今は休むんです。体調管理も鍛練の内」
「……それは、邪魔を致しました」
「ええ、せっかく気持ち良く寝てたのに、起こされました」
「申し訳ございません」

 謝りながらも、一抹の理不尽さを感じたオウギは微かに溜め息を吐いた。喜八郎から離れて教室の前の方に並ぶ文机の一つに紙の束を置き、さっさと教室を出ようとする。

「もう、行くんですかぁ?」

 間延びした声が、踵を返した瞬間の彼女の背中に掛かる。邪魔だと言うたのはそちらだろう。と、口には出さねども振り返ったオウギの眉間には皺が浮かんでいる。

「お休みのお邪魔になる様ですから」
「いや、もう目が冴えちゃってます」
「何か私に用向きがございますのでしょうか」
「別に、何と無く」

 喜八郎は、何を考えているのやら分かりにくい無表情でオウギを見返す。腹を探り合う様なやり取りは、オウギには寧ろ馴染み深いものだが、その場に流れている、ゆるりと温い様に感じる雰囲気は馴染み無く居心地が悪い。立ち去ろうとした脚が重たく感じる。

「学園はどうですか?」
「……多少は、慣れて参りました」
「ふぅん」

 喜八郎の声色は、相変わらず興味無さげだ。

「そうは見えませんけど」
「は、」

 興味無さげな、淡々とした声で言われたそれに、オウギはほんの少し、ぎくりとする。

「あなた、なんだか居心地悪そうですもん」

 オウギは、身体を向き直し、喜八郎を見返した。

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