さて、月霞むその夜を抜け

□しじまに蠢くもの
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※:2ページ目は暴力表現注意。七十年前の出来事ですが、暗い上に夢主が物理的にも精神的にもキツい目にあっています。苦手な方は読み飛ばして頂いても大筋には支障はありませんが、夢主の人格形成に関わる部分として書かせて貰ってはいます。



 カン。
 と、軽い音を立てながら、棒手裏剣は的の柄を霞めて、回転しながら地に転がる。

「ああーっ! 駄目だぁ!」
「でも届いた! 的の場所までは届きましたよ! あと少しです!」

 その様を見て、悔しげに頭を掻くタカ丸と彼を鼓舞する守一郎の背中を、オウギは少し呆けた顔で眺めてる。喜八郎は彼等やオウギとは少し離れた所でしゃがみこみ、恐らくは蟻の巣でも崩しているのだろう、何やら棒っ切で土を弄っていた。
 オウギの眉間には、困惑やら呆れやらが入り雑じった皺が薄く浮かんでいる。演習場での鍛練。と聞いていたが……何ともはや、真剣そのものな彼等には申し訳無いが、オウギの目には稚児の戯れの様に見えてしまう。

 ああ、然し、恐らくこれは、自分のものの見え方が歪んでしまっているのだろうな。

 自嘲的な、うら寂しい投げ遣りな気分が立ち上ぼり、オウギは静かに目を伏せる。
 が、視線を感じ、また直ぐに目を上げれば、タカ丸と守一郎が此方を振り返り、じぃっと見ているのだった。

「……な、んでしょうか」

 しどもどと訪ね返せば、タカ丸がふにゃんと穏やかな笑みで一本の棒手裏剣を此方へ差し出してきた。オウギは思わず、軽く後退る。

「ね。オウギちゃんもやってみせてよ」

 まるで、子どもが遊びに誘うような口調に聞こえた。オウギは、目を瞬きながら、タカ丸の蒸し饅頭の様な顔と、手元で鈍く光る棒手裏剣を見比べる。

 例えば、私が本当に間者であれば、この武器を与えられたままに刺し返す事などあまりにも容易で、そんな風には思わないのだろうか。

「ぶ、無用心ですよ」

 何処か目眩を覚えてきたオウギは、思わず震えた声で言う、いっそ恐怖に近いものすら感じた。
 タカ丸は、何やら不思議な呪文を聞いたかの様に首を傾げた。

「えっと……今度十間打ちの試験があってね。俺、苦手だから、特訓しなくちゃって」
「それは、先程もお聞きしました」
「うん、でね。見た通り、全然出来ないから、人のやるのも見て参考にしたいんだ」

 噛んで含める様な口調で言われたとて、オウギはどうしたものやら分からない。ではお見せましょうと、その様に気軽に見せれるものに思えないのだ。泳いだ目線は、守一郎を見る。助けを求めている様になってしまい、まあ、間違いでは無いのだがそれが不本意で眉間にまた皺が浮く。守一郎も、また複雑な、何とも言えない淡い苦笑を浮かべていた。

「守一郎殿に教えて貰えば宜しいでしょう」
「うん、そうなんだけど、せっかくだからさぁ」
「意味が分かりません」
「だって、オウギちゃん、退屈そうだもん」

 話が通じない。棒手裏剣は未だ差し出されたままだ。
 もう一度、守一郎を見る。いや、知らず睨んでしまった。守一郎は軽く肩を震わせて、それから困った様に頭を掻く。

「あの、俺も、その……見てみたいです」
「守一郎殿まで……」

 オウギは、再び、棒手裏剣に目を落とす。タカ丸の手に握られたそれ、じっと見下ろし、手を伸ばす。だが、途端、指は引き釣った様に動きが止まる。
 瞼の裏に過った像に、オウギは唇を噛む。

「…………打つのを見せるのは、ご勘弁して頂きたい。良い打ち方なら、教えれるとは思いますから」

 その像を振り払い、絞り出す様に出した返事。然し、タカ丸は途端にぱあっと顔を輝かせた。

「本当に?」
「指南の真似事程度ですが」

 武器に触れるよりは幾らかはマシだと、オウギは内心独り言ちつつ頷いた。

「守一郎殿も仰っていましたが、先程から見ていると、タカ丸殿は打つ時に余分に力み過ぎております」
「うん、そうなんだよぉ。あんなに遠い的に当てなくちゃって思うとついついね」

 唇をちょんと尖らせながらタカ丸は肩をぐるぐると回す。オウギの口許が淡く緩む。

「ええ、私もかつてはそうでした……結紐は、お持ちですか」
「え。うん」

 無ければ、今、自分が身に付けているものを外そうかと思ったが、案の定、タカ丸は懐から七、八本も取り出してきた。流石は髪結いというだけあるかとオウギは苦笑する。

「えっと、元結? 紐?」
「紐の方を、一本で構いませぬよ」
「平組と丸組と角組があるけど」
「何れでも構いませんが、強いて言うなら丸紐が宜しいかと」
「色はねぇ、紅色と、藍に山吹混じりのと、薄鼠」
「……それこそ何れでも構いません」
「そうなの? んー……どうしよっかなぁ。あ、痛んだりしないよね?」
「…………加減を弁えれば」
「ふぅん……?」

 悠長なやり取りの後、タカ丸が差し出した紅色の紐を受け取り、その片方の先を数回結ぶ。そうしてオウギは団子状に結び目が出来た紐のその反対を掴んで腕を振るった。
 腕の勢いに浮き上がり、結び目の重みに引かれ、紐はひょうと空気を切る音を立てながら真っ直ぐに中空へ伸びる。

「……こうやって、打つ時の要領を掴めば宜しいかと存じます」
「成る程ぉっ!」

 オウギの手から紐を受け取ったタカ丸は嬉々として、紐を振るう。だが、オウギがしたそれとは違い、ひょんと腕の動きに習うだけだった。

「あ、あれぇ……?」
「最初の内は、上手くはいきませぬよ」

 首を傾げるタカ丸に、またオウギは苦笑する。

「やりづらければ何か重りを加えると良いです。慣れてくれば重りを外し、振るう時に先が真っ直ぐ的の方を差せば、大体は身体に打ち方の癖がついたと言えるでしょう」
「そっかぁ。結い紐で出来るなんて僕にぴったりの鍛練だねぇ!」

 別段、紐であれば何でも良いのだが、タカ丸があまりに無邪気に目を輝かせ張り切っているので、言うのは止した。

「ありがとう、オウギちゃん」
「いえ、良く励まれますよう」
「うん、頑張るよ!」

 ふと、視線を感じた。
 見れば、守一郎が此方を見ている。先程の、何とも言えない苦笑めいた表情ではなく、いや、苦笑混じりな事に変わり無いのだが、先程よりも幾分か穏やかな笑みをオウギに向けていた。

 その表情の意味を、オウギは、考える。

「おい、貴様! そこで何をしている!!」

 だが、考えようとした先から、あからさまな敵意と共に己に向かって放たれた怒声が、胸の内の微かなざわめき諸ともオウギの意識を逸らすのであった。

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