連載

□時の雫 前編
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「てっしー最近おかしくね?」
 昼休みの教室は生徒たちの談笑で騒がしかったが、左門にははっきりと聞こえた。窓の外から声のする方に視線を移動させると、天使ヶ原桜の親友二人が少々深刻そうな顔をしている。話題の当事者は職員室に用事があるといったきりまだ戻って来ていない。

「何話しかけても上の空だし、ときどき思い詰めたよーに黙ってるしさ」
「悩みでもあるんじゃね? てっしーも年頃の乙女なんだし」
「にしても、私らに打ち明けてくれたっていーじゃん。あいつ昔からああなんだよな。一人で抱え込むってゆーか」
「もし恋の悩みなら私らを頼ってもしょーがねーからな」
「自分で言うなよ、ヤーさん」

 今朝一緒に登校しているとき、彼女の視線を感じたので何?と問いただしたものの、何でもないとしか返ってこなかった。しかし友人たちの会話からしても、気のせいではないだろう。大方また何か面倒事を押し付けられたのだろうか。嫌なら不満をため込む前に断ればいいのにとため息をつく。

 左門は席を立つと教室を出た。彼女の性格からして、耐えられなくなったら左門を頼ってくると予測できる。今のうちに真相を明らかにしておけば即対応できるだろう。わかりきった授業よりも、有意義な時間の使い道だと自分に言い訳をする。屋上への階段に差し掛かったとき別に天使ヶ原さんを心配しているわけじゃないと、誰にともなく呟いた。


 機密を暴く悪魔と旅団長の盗聴能力を駆使して判明したのは、彼女だけではなく左門にも全校生徒にも関わる問題だった。

教員の間で新たな校則を制定する話題が持ち上がっている。内容は生徒の男女交際の禁止である。
 理由は交際にのめりこむあまり成績を落とす生徒が続出しているからだった。夜遅くまで携帯で連絡を取り合っていたため、課題を忘れたりする者。関係がもつれて別れると、落ち込むあまり勉強が手に付かなくなってしまう者もいる。
 指導はしているものの改善の見込みがない生徒が多く、その場で泣いて被害者を装う者まで出る始末だ。別の生徒がその様子を動画に撮り、SNSに投稿して教師を陥れる事件まで起きた。

 私立高の教師の業務は多忙を極める。授業や部活の準備でただでさえ大変なのに、陰湿で狡猾な生徒や保護者の対応までしている時間などない。学校の秩序を守るためには交際禁止もやむを得ないとする意見が教師の間で多数となった。
 近隣の高校では、別の問題で生徒に加害者に仕立て上げられた教師が、学校を去る事態にまで発展した例もある。真面目で生徒思いの教師ほど退職していき、現場は人手不足に陥っていた。このままでは我が校も二の舞になると危惧した教師たちは、生徒たちへの人権侵害と世間に非難されるのを承知の上で、新たな校則について会議を重ねた。

 教師に頼まれごとが多い彼女は、たまたま交際禁止について話題にしているところに居合わせた。もし制定されれば、校内で左門と過ごすことはおろか、休みの日に友人たち5人で出かける事も出来なくなってしまう。撤回してもらえるように訴えたが、これは皆のためと言いくるめられる。公表まで他の生徒への口外を禁じられていたため、友人に相談もできず抱え込んでいたのである。

 左門が真相を知った二日後、朝礼で男女交際禁止の校則が生徒たちに通達された。授業や部活・委員会以外で男子と女子が共に行動することを禁止する内容だ。突然の事に体育館は騒然となったが、中には例の事件でこうなる事を予測していた者も少なくなかった。
 多数の良心的な生徒にとっては、連帯責任ということで理不尽な規則だ。しかし表立って反発する者はあまりなく、むしろ校則を支持する動きもあった。日頃から交際をみせつけている男女をよく思っていない男子生徒たちが徒党を組み、校内のカップル撲滅に向けて運動を始めたのである。


「おーおー、男の嫉妬は醜いねえ」
 一週間後の放課後、左門と九頭龍は屋上から騒ぎを見下ろしていた。そろいの鉢巻きとたすき掛けをした男子生徒たちが二組の男女を問い詰めている。来月まで猶予期間が設けられているが、既にいくつかの団体が交際禁止の看板を掲げて、掛け声と共に我がもの顔で行進しているため、不穏な空気が校内を支配していた。

「また時代錯誤な校則だよなー。ばあちゃんが高校のときも、男と二人で歩くだけで白い目で見られたって聞いたことあるけど……」
「……」

 左門はここ数日彼女に避けられていた。廊下で会っても目を合わせようとしない。通学の時間もずらされている。左門に迷惑をかけないための配慮だ。カップルの中には隠れて携帯で連絡を取り合う者もいたが、撲滅団体に見つけられてやりとりをクラス中に拡散されるという嫌がらせまで起きている。左門と彼女の恋愛感情の有無はどうあれ、現状を考えれば当然の対応だった。
 
「天使ヶ原のやつ、校則に反対してたから影で嫌味言われたりしてるらしいぜ」
 教師に楯突いたことで、彼女も他の生徒から避けられていた。反対したくてもできる勇気のない者に嫉妬されているようだ。
「どいつもこいつも天使ヶ原に世話になってるくせに、こんなときだけ勝手だよな……」
 ずっと周囲から天使だ仏だと持ち上げられていたのに、状況が変われば軽く扱われる。揉め事に関わりたくないという心理はわかるが、本人の心中を思えば怒りを覚えずにはいられない。それは左門も同じだ。

「で、どーする、左門?」
「どうするって…」
「俺は別にいいぜ、目障りなカップルがいなくなろうとどうでもいいし、女子連中とだって卒業してからでも遊べるからな。でもお前は最近おかしくね?」
「別におかしくないよ。いつも通りさ」
「そうか? 俺と遊んでいても心ここにあらずって感じだぜ。何つーか、感情がないっていうか。前は心底楽しいって顔してたのに、転校してきた頃に戻っちまったみてーだな」
「……」
「そんなお前といてもつまんねーんだよ。だから先帰るわ、じゃあな」
 左門は複雑な胸中で、手をひらひらさせて階段に消えて行く親友を見送る。

 指摘は当たっている。親友と悪巧みを考えていても、有名店の甘味を食べていても、猫と戯れているときでさえ没頭できなかった。こんな事態になっていても、惰眠と暴食の悪魔だけはけしかけていたが、以前のように彼女からの反応はない。その事実が左門の胸を寒々しいものにさせている。

 彼女と関われない寂しさには既視感があった。幼い日、母親の愛情を独り占めしたくてもできなかった頃と同じものだ。祓魔士という職業柄、門下生たちに平等に接するのは当然であっても、彼にとってはただ一人の母親でしかなかった。生活が貧しくても一部の弟子に善意を利用されていても、母を助けられない無力さを感じていた。まだ幼かったのだから仕方がないと割り切ることはできなかった。
 
 天使ヶ原桜と出会ったときから、母親と似た性質の女であると本能で感じていた。意識では反発しながらも、召喚術に夢中になっているところを見守られたり、危機的状況の際に頼ったりされると、かつて満たされなかった想いが満たされていく気がした。
 アガレスの能力で彼女が左門の過去に遡ったと知ったときも、未熟だった修業時代を見られてしまった気恥ずかしさはあったものの、どこか嬉しさがあったのも確かだ。左門にとって彼女は、幼子にとっての安全基地ともいうべき存在になっていた。

 しかしまた左門は母なる存在を奪われようとしている。学生の本分を果たせていない非を棚に上げ教師を陥れる者も、恋人がいない劣等感ゆえの暴力を「学校のため」と正当化する連中も、彼にとっては唾棄すべき偽善者だ。
 
 相も変わらず続く馬鹿騒ぎを見下ろすと、ぎりぎりと柵を握り締める。思った以上にどす黒い物が燻っているようだった。



 左門は家に着くと即浴室に駆け込んだ。シャワーの水圧を一番強くして熱い湯を浴びる。苛立つ気分を吹っ切りたかった。
 彼女に悪魔よけの札が貼られてしまった日々が脳裏をよぎる。彼女に近づけなくなった悪魔の悲しみは、左門の悲しみでもあった。あの時と違って今度は左門自身が彼女と接することができなくなってしまった。       
 普段の挨拶も憎まれ口の応酬もたあいないやり取りも、全てがかけがえのない時間に思えてくる。
 最近は食欲もなくなり、眠りも浅い。寝ても覚めても夢の中までも、彼女が思考を占め続けている。
 構ってほしい、叱ってほしい、またあのあどけない声で名前を呼んでほしい。また自分だけに笑顔を向けてほしい。思いは募るばかりだ。
 いっそこちらから連絡してしまいたい衝動に何度も駆られた。だかそれでは自分ばかりが彼女を求めているようで悔しい。ここ数日、素直になれない葛藤に苛まれ続けている。

 いくらかすっきりした気持ちになりタオルで頭を拭いていると、ベッドの上に置いた携帯が鳴った。画面に表示された人物の名に心臓が跳ねる。連絡が来るのは予想通りであったが、いざとなると動揺した。

「天使ヶ原さん、どうしたの?」
 左門くん……と呟く声にはどことなく切なさがにじみでていた。はやる気持ちを抑えるために、前髪から滴り落ちる雫が床に染みていくのをじっと見つめる。
「久しぶりだね…」
「今日も教室で会ってるよ」
 待ち焦がれていたと悟られないように努めて冷静を装う。
「うん、でもずっと話せなかったから。今まで避けててごめんね。」
「…君が謝る必要はないと思うけどね」
「本当はずっと左門くんと前みたいに話したくて仕方なかったんだ。なんてね…あはは」
 彼女が照れているのを隠すように笑う。左門は思わず携帯を強く握り締めた。寂しさを感じていたのは自分だけではなかったのだと、胸が締め付けられる。

「用件は何?」
 予想はついているが落ち着くためにあえて尋ねる。
「わ、私……あの、その…」
 しどろもどろで要領を得ない。普段なら更に急かすところだが、黙って耳を傾けた。
「私、左門くんと……」
 電話口の向こうから意を決したように息を吸い込む音がする。

「左門くんと二人で、誰も知らない所へ行きたい!」

 予想外の告白に数秒固まった後、意識が薄れて布団に倒れこんだ。



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