連載

□時の雫 後編
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 一晩中続いた雷雨でできたぬかるみを、左門は避けるようにして歩いていた。空を見上げると曇天ではあるが、地上の穢れは洗い流され、朝の通学路は清々しい空気に満ちている。
「おはよう、左門くん」
 背後から声を掛けられる。彼女と待ち合わせて登校するのは久し振りだ。迷いを吹っ切った表情は普段の明るさを取り戻している。
 
 交際禁止になるのは明日からなので、今日までは校則違反とはいえない。しかし教師に権限を委任された男子たちの取り締まりは厳しく、既に校内には共に行動している男女は一組もいなかった。ここで左門と彼女が二人で姿をみせたら、騒ぎになるのは目にみえている。今更撤回されるのは難しい雰囲気だ。だがたとえ負け戦であっても異議を唱える意味はある。自分が自分でなくなってしまわないために。

「本当に来たんだ。いいの? 2−Bの天使が全校生徒を敵に回すことになるよ」
「このまま何もせず左門くんといられなくなる方が後悔するよ。左門くんこそ本当にいいの?」
「…今日はまだセーフだから心配ないよ」
「そうだね。みんなも意外と許してくれるんじゃないかな?」
「案外ふてぶてしいよね、君も」
「左門くんのせいだからね」
 憎まれ口を叩きつつ顔を見合わせると、彼女が片手を上げる。左門も手を挙げて互いの手を合わせると勢いよく打ち鳴らす。気持ちを一つにするような澄んだ音が響き渡った。

「感謝してよね。この僕が良い人に合わせて正面から立ち向かうんだから」
「たまには正統派ヒーローになるのもいいんじゃない?」
 いつだったか彼女にもっと正々堂々と闘えと諭されたときは、何がわかると思ったものだった。悪魔も人間も狡猾で陰湿な連中ばかりの中、人の苦労など知りもしないおめでたい女だと。その彼女が今は誰よりも信頼できる相棒になっている。彼女がいてくれれば、どんな時も立ち向かっていける気がする。
 
 決意を新たにすると並んで歩き出す。二人のレジスタンスが始まろうとしていた。

 
 校庭に差し掛かると次第に周囲の視線が強くなっていく。左門がふと隣をみると、彼女からは以前の人の顔を伺う様子が消えていた。瞳には意志の強さが宿っている。
 規則正しい群衆の足音が二人に迫る。主義主張を掲げた看板を手にした集団が彼らの行く手を阻んだ。

「女連れで登校とは、いい度胸だな左門。校則を知らないわけじゃあるまい」
 威圧的な態度に彼女は後ずさるが、左門は平然と応える。
「禁止になるのは明日からのはずだけど」
「予定ではな。他の生徒は既に我々が取り締まっている。一組でも交際しているのがいれば秩序が揺らぎかねない」
「それはそれは御熱心なことで」
「お前は空気が読めないようだからはっきり通告してやる。天使ヶ原から離れろ」
「教師ならともかく、何でそっちの指示に従わなきゃいけないのさ?」
「…今のうちに従うほうが身のためだぞ」
「駄目だよそんな悪役のセリフ。君たちは校内の秩序を守る正義の味方、僕はそれを乱す悪人なんだからさ……」
 
 漆黒の闇をたたえた目が光を帯び、口元に酷薄な笑みを浮かべる。恐れをなしたのか、数人の者がひるんだ。
 一触即発の状況の中、登校してきた者も校舎の窓から見下ろしている者も、運動部の生徒たちも練習を止めて固唾を飲んで見守っている。
「事を荒立てたくはないが…仕方ない」
 リーダー格の者が体格の良い男子を促すようにみる。左門は懐に手を忍ばせた。合図を受けて何人かの者が左門に襲い掛かかる。

「ぐわっ!!」
 一人の男子の顔面がつぶれる。傍らには悪霊弾よりも早く命中したものが転がっていた。
「逃げろ!! てっしー、左門!」
「笑美!」
 親友の登場に彼女が顔を綻ばせる。
「二人じゃ心もとないと思ってね。一応援軍は呼んでおいたよ。全員このまま卒業まで過ごすくらいなら、処分くらい上等だってさ」
「左門や九頭龍はどうでもいいけど、この辛気臭い空気にはウンザリしてたからな」
 手にした白球を二三度地面につくと天高く放り投げる。
「人の恋路を邪魔する奴は……」
 地面を蹴って跳躍する。なびく髪としなやかな四肢が駿馬を思わせた。
「この韋駄天が相手だあーー!!」
 小柄な身体から繰り出されたとは思えない剛速球が、男子たちを次々となぎ倒していく。
「恋じゃないってば! でも、ありがとう笑美!」 
「いいぞー嬉村ー!」
「もっとやれー!」
 外野の歓声を背に、左門と彼女は昇降口へと駆け出した。


 何事かと振り返る生徒たちをかき分け、廊下を疾走する。取締りの団体は校内にもいたらしく、暴食と惰眠の悪魔で足止めをしてもきりがなかった。階段を駆け上がると前方向から集団が迫ってくる。
「いました! 二階の左階段踊り場です!」
 先頭の一人が携帯を握り連絡をしている。後ろからも挟まれて退路は絶たれたかにみえたが、人垣が引いて一人の女子が姿を現した。
「そこをどきな」
「ヤーさん!」
 校内でも有名な毘沙門天の異名を取る女の登場に、男子たちは顔を青ざめる。算文界隈の不良を従えた眼差しは、現役を退いた今もなお凄味を増している。長身を生かした足取りで集団に迫っていった。
「私はな…いちゃつくカップルはでえきれえだ…だけど」
「お前らみてえなもてねえからってウジウジしてる連中はもっときれえだーー!!」
 彫像の如く頑丈な蹴りが繰り出される。一瞬にして何ダースかの生徒が地に付した。
「同族嫌悪か! でも、ありがとうヤーさん!」
 律儀にツッコミと感謝を返すと上階に向かった。
 
 四階の3年教室前にたどり着く。息を切らせて走ってきた二人を待ち構えていたのは、グラサンをかけた九頭龍だった。
「楽しそーだな左門。俺も混ぜてくれよ」
「加担するとお前も同罪だぞ!」
 追ってきた残党が、今までの相手とは違って大したことはないと勢いを取り戻す。先の女傑二人よりは御しやすいと見なしたようだ。
「まーまーそんなにカリカリしねーで、お前らも一緒に遊ばね?」
 飄々とした態度で左手に握っている束にライターで火を付ける。追手の足元に向かって一気に放った。軽い爆発音にひるんだ者が悲鳴をあげる。
「これ爆竹っていうんだってさ。ネットで売ったら何円するかなー」
「ふざけるな! これしきの攻撃で…うわっ!!」
 立ち上がった男子たちが次々と転倒する。床には九頭龍がばらまいた無数の球が転がっていた。
「ビー玉踏んづけたら危ねえから、よいこは真似すんなよ!」
「使い方間違ってるだろ! でもありがとう!」

 
 屋上に辿り着くと強い風が二人を迎える。切らした息を整えていると、施錠した入り口の向こうから、鍵持ってこい!職員室だ!などと今にもけ破られそうな喧騒が聞こえた。
「長居は無用だね」
 左門は指を鳴らして、あらかじめ用意しておいた陣から巨大魔獣を召喚させる。
「君はここに残って。全員僕にそそのかされたって言えばいいから」
 彼女は元々人望もあるし仲間も守ってくれるだろうと、左門は確信していた。
「左門くんはどうするの?」
「逃げるに決まってるでしょ」
「そんな……!」
 
 止めたそうな彼女に背を向けて歩みを進める。男女交際禁止になるとわかった時から決めていたことだった。表立って騒ぎを起してもいる。名残惜しくはあるが構わない。自由を求めて実家を飛び出した左門にとって、思い通りにできない日々を送るなど時間の無駄でしかないのだから。

「私も一緒に行く!左門くん一人に責任負わせる位ならここまでついて来ないよ」
 優等生の発言に足を止める。この一週間言いたくても言えなかった言葉が浮かんで、耐えるように脇で拳を握った。
 以前の彼女なら、誰にでも分け隔てなく親愛の情を注ぐ人柄から、左門でなくてもついて来るだろうと考えられた。だが海に誘われてからの彼女の言動は、彼だけに向ける特別な感情の表れとしか思えないものだった。だからこそ、左門は何度も口にしたくてたまらなかった。

「……天使ヶ原さん、僕と一緒に来るってどういうことかわかってる?」
 博愛からくる言葉なんていらない。欲しいのはそんな綺麗な感情ではない。昨日雨の中で縋りつかれたときのような、もっと俗でもっと醜い生々しい衝動――
「左門くん……?」
 振り返ると彼女の目をきつく見据える。

「家族も友達も何もかも捨てて、僕について来る気はあるかって聞いてるんだ!」
 
 柔和な仮面をかなぐり捨てて、激情のままに叫ぶ。ずっとこのどうしようもなく荒んだ世界から、彼女を連れ去ってしまいたかった。低くたなびく雲を追い風が飛ばしていく。切れ間から一筋の光明が差し込み、彼女のなめらかな頬を照らす。瞳が戸惑うように揺れていた。
 
 扉の向こうの声が勢いを増していく。答えを待っている余裕はない。
 本能が命ずるままに、左門は彼女の華奢な手を強引に掴むと一気に駆け出した。風が足元で小さな竜巻となる。彼は走りながら、ずっと自分を縛り続けていた何かから解放されていくのを感じていた。

 魔獣の背にしがみつくと、下界のしがらみに別れを告げる翼が羽ばたく。同時に何人もの生徒が屋上になだれ込んできた。そこには心配して駆けつけた親友たちもいた。
 彼らからはもう二人の姿は見えてはいない。上空に向かって一層強く風がらせんを描いた。

 左門の人生を後押しするように。
 


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