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□邂逅
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このイザヴェルの地に吹く風は優しい。

冷たいけれど、それでも優しい。

ラグナロクの前からそうだったんだろうか。

それとも、これはラグナロクのあとに初めてヴァーリ様が見つけられた優しさなのだろうか。



……後者だったらいいと思う。

だって、そうでなければ、ヴァーリ様はあまりにも辛過ぎるから。



ヴァーリ様が神としての自覚に目覚めた時、この地は暗い影に侵食され始め、熱と氷に壊される終焉へと向かい始めていた。

それまでの穏やかな世界をヴァーリ様は知らない、この北欧の神々のなかでヴァーリ様だけがそれを知らない。

知ることを許されなかった平穏と、終焉に向かうこの地の記憶なんかより……。

すべて終わってすべて失って自分だけが取り残されたと絶望したヴァーリ様の足元に息吹いた緑の新芽。そして現れた、ヴィーザル様と幾柱かの神々。

世界は再生された、残されたのは自分だけじゃない。

そう知ったヴァーリ様にとっての……イザヴェルの地であればいいと思う、この優しい地が。



バルドル様を失うことが避けられないとわかった時、オーディン様はその予言に耳を塞いでは下さらなかった。

『神の血を流すことの出来ぬ神々の代わりに、リンドという女が産んだ子供が産まれたその日にその役目を果たす』

オーディン様はそのためにリンド様に子供を産ませた。そのためだけに。

神々一の弓の腕を持つヘズ様に万が一にも返り討ちに遭わぬために、ヘズ様を凌ぐ弓の腕を持ち。

一撃でヘズ様の胸を貫く剣の腕を持ち。

そうして役目を果たした神でも巨人族でも人間でもない得体の知れない者を、脅迫観念に駆られたように未来を知ることを求めたあの頃のオーディン様がどう思ったことだろう。そんなことは考えなくてもわかる。




そうして、ヴァーリ様は神に迎えられた。

自分が兄殺しで神殺しである自覚のうえに、裁きの神として司法の守り手という役目を与えられて。

なのに神々はヴァーリ様の存在価値を砕いた。

ロキ様の暴言に神々の怒りが抑えきれなくなった時、神々はロキ様の息子の血を流させロキ様を私怨で痛めつけた。

そこが、アースガルドではなかったから。

かつてアースガルドの地でヘズ様の血を流すことが出来なかった神々は、そこがアースガルドの地で無いからといって簡単に神の血を流し蛮行に及んだ。

だったら、何故あの時、ヘズ様をアースガルドの外に連れ出して制裁を加えなかった?

何故自分達の代わりに蛮行を行う者を生み出した?

何故ヴァーリ様の手を血で汚させた?

そして、そのヴァーリ様を裁きの神に据えたなら。司法の守り手に据えたなら。

何故ロキ様をアースガルドに連れ戻してから正しく裁きの場を与えなかった?

何故そこでヴァーリ様に与えられたはずの役目を無視した?

神々は……何故、ヴァーリ様に罪を与えながら生き長らえさせ、罪を抱いた身に他者への裁きの役目を押し付けておいて、最後には勝手にその役目さえ無視した? 何故? 何故ヴァーリ様だけがそんな目に遭わされなければならない? 何故?



それが、私の知っていたヴァーリ様。

だから、ヴァーリ様を解放する時、私はヴァーリ様はどんなかたなんだろうと思っていた。

どれほど哀しいかたなんだろうと。

でも……。

私はそんな自分を後悔した。

ヴァーリ様は私が勝手に思い込んでいた神話のなかのヴァーリ様ではない。



ヴァーリ様は自分で自分を律することにプライドを持ったかただった。

それを堅苦しいと揶揄されようと厳格に自分を保っているかただった。

厳しい言葉のなかに愛情を持ったかただった。

わかりにくい好意をそっけない言葉で表したりもするかただった。

照れくささをポーカーフェイスとばっさりとした口調で誤魔化すこともある。特に自分自身のことに関しては。

誰かに対する思いやりを自分では素直に表せなくて私にそれとなく頼み込んでくることもある。『君になら任せられる』なんて言いながら、でも瞳は『ありがとう』と語っている。

ヴァーリ様は本当は神話のように哀しいかたなのかもしれない。

でも、現実のヴァーリ様はそれを感じさせない。

それはヴァーリ様が自分自身そうでありたいと作り上げた理想のヴァーリ様なのかもしれない。

割と簡単にオーディン様のことを『クソ親父』呼ばわりしたりしているから、あまりその理想は演じきれていない気もするけれど。

でも、それが素のヴァーリ様ならば、そのほうがいいとも思う。

すべてを完璧に押し隠してしまえるなんて哀し過ぎるから。

もっと、自由に。

その心のまま、思うままに生きてほしいから。

何にも。誰にも。たとえヴァーリ様ご自身にも。縛られることなく。

そんなふうに思うことさえ余計なことなのかもしれないけれど。



だから……私は。



イザヴェルの地を風が吹き抜ける。

愛しいヴァーリ様の足音を優しい風が運ぶ。



「なんだ、こんなところにいたのか。
……君が居ないと退屈だな。
最近は他の神の所へ出かけているのか?
様々な神とふれあい、勉強に励んでいるのであれば非常に望ましいことだ。
しかし、以前にも言っただろう。
私の所には頻繁に訪れるように、と。
それを怠っているのは感心しないな」



「ごめんなさい、ヴァーリ様」



だから……私は。

貴方に全身全霊を捧げます。

貴方のために。

貴方の命ずる通りに。

貴方の思う通りに。



「謝ることではない。
……わかっているなら、いい」




この世界のすべてが貴方に優しく在るように。

私は私のすべてをかけて貴方と貴方の生きる世界を護ります。





→あとがき

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