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□大人な子供・II
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初夏の海は爽やかだ。

普段は結界も兼ねて荒ぶる大波も今日は凪いでいる……が。



目の前の男の心の中では荒波が押し寄せているらしい。

荒波は絶えることの無い崩波となってこの男の心を浸食している。



大杯の上で逆さにされた酒壺が最後の数滴を滴らせる。

空になった酒壺が床に投げつけられた。



「お前も酒は弱くないほうだが、いい加減にしたほうが良くはないか?」



散乱した幾つもの酒壺のほとんどをこの男が呑み干したことを考えると、そろそろ止めておいたほうが良さそうだった。



「私は酔っていない!」



だから、だ。

酒に酔っていっときでも憂さが晴れるならともかく、苛立つばかりで、おまけに酔えないのでは、酒に逃げる意味が無いだろう?



「いつになく興奮しているようだが、女のために自棄酒をあおるのはお前らしくない。
少し落ち着くんだな」



「私が龍姫のために自棄酒を呑んでいるだと?
馬鹿な! 私は冷静だ!」



語るに落ちているではないか。



「私は、“龍姫”とは一言も言っていないが?」



この男のこんな様を見るのは興味深いが、そうも言ってられんな。



「何があった?」



気まずそうな顔が逡巡する。

やがて、その薄い唇が歪んで、力無い呟きが零れ落ちた。



「……龍姫は、私に……甘えない」



そもそも、あの女は、あまり甘えることの上手な女では無いだろう。

この私でさえ、あの女を素直にさせて甘えさせるのは難儀なことだ。

まあ、陥とせば脆い女だが、それをすれば、それこそお前に恨まれるだろうしな。



「君には、甘えている……ようだが」



おいおい、待て!

だから私に矛先を向けるな。



「何を根拠にそんなことを言い出す?」



「根拠などは無い!
私がそう思うだけだ!」



……どこが冷静なんだ。

冷静なふりをしてしっかり悪酔いしていたとは。

まったく悪い酒だ。















先日のことがあったので、龍姫に聞いてみた。



「お前はあまりあの男に甘えないのか?」



「大黒天様……」



何を深読みしたのか、睨みつけてくる。

これも甘えられているといえば甘えられているのだろうが。



「そう怒るな。
……真面目な話だ」


「……甘えません」



真面目な話だと言った途端に打って響くように返ってきた答に、逆に私が面食らった。



「……何故だ?」



「以前、ヴァーリ様が仰ったからです。
“君を特別に指導できてよかった。しかし、これは甘えろと言っているわけではない。いいね?”と」



……あの男は、そんなことを言ったのか?

それで甘えてもらえないだと?

馬鹿か、あの男は。

いや、あの男のそんな物言いを額面通りに受け取って真面目に守っているこの女もこの女ではあるが。



「くくっ……」



痴話喧嘩に首を突っ込んだ気分だな。



「大黒天様?」



「いや、何でも無い。
お前もあの男に似て不器用だな。
お前達は似合いだ」



「大黒天様っ!」



おっと!

杯ならともかく膳は投げるな、こら。

それくらい素直な顔をあの男にも見せてやれ。



それで今度は「龍姫が怒るたび物を投げつける」と愚痴られても私はもう聞かぬがな。



「倉から酒を出してこい。
お前が戻る時一緒に北欧を訪う」



さあて。

あの男にこの話をしてやるのが楽しみだ。

あの男は……どんな顔をするかな。










→あとがき

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