長編

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・・
廉頗将軍と別れの挨拶をしたあと、真っ青な顔の養父と馬車に乗りこみ秦国へ急いだ。

「…父上、私に関わるとはどういうことですか?」

重苦しい空気の中で、私はずっと気になっていた事を尋ねた。

「ああ、その事なんだが…」

深刻な表情で俯く養父が、顔をゆっくりと上げて口をひらいた。
眉間に皺がより、額には汗が滲んでいる。

「…私は常に、中立な立場を保って商売をしてきたんだ
。現大王様が襲撃から無事生還された時も、国内で対立しているどの陣営にも就かずに中立を保った。…しかし、今回の趙国訪問の一件もあってか…それを保てなくなりそうなんだ…」

中立。どちらの陣営にも属さない事で、誰の、では無く"秦国の"商人として商売をしていた養父。今回の訪問の裏で糸を引いていたのは間違いなく呂不韋丞相。ならば大王陣営に私達は呂不韋陣営だと印象付けてしまっただろう。

…血の気が引く。

養父は今後の商売への影響を考えているだろう。しかし、私はそんな事よりもっと恐ろしい事態になることを想像している。

ーそう、歴史通りに進む事。その場合、呂不韋陣営に付いたら私達は最悪の場合…死ぬ。
追放なら御の字といったところ。

「…私達は戻ってすぐ、呂氏四柱、"昌平君"殿と会わねばならない。」

「…! …つまり、呂不韋丞相の陣営に付かねばならない可能性がある、と…」

「…あぁ、そうなるだろう…どうしたものか……」

頭を抱えて思い詰めた表情の養父。

「申し訳ありません…私が軽率な行動を取ったばかりに…」

深々と頭を下げた。ガタガタと揺れる馬車に合わせて、下げた自分の頭が揺れる。

「顔を上げなさい。いずれ、私もどちらに付くか選ばなければならなかったんだ。それが早まったにすぎない…」

「…」

頭をそっと上げて養父の顔を伺うと、その表情は困ったような、それでいて仕方ないといった諦めの色が浮かんだ笑顔だった。

「…父上、私がなんとかします。」

「…な、何を言い出して…私は君を責めてはいないんだ。」

「いいえ、私が招いた事ですから。必ず解決します。」

「…!」


真っ直ぐに養父の目を見て宣言する。

昌平君…会ってみなければわからないが、史実での彼の存在…この先について……

軍師超えるなんて無理な話だ。しかし、私はこの世界の、今という現実を生きなければならない。

私は、得体のしれない私を、実の娘のように愛してくれる"家族"を守りたい。

「…困ったものだ。そんな自信に満ちた目で見られては、私は何も言えないよ。」

ホッとした優しい笑顔を向けられ、つられて笑う。



…秦国へ帰る前に、色々と考えなければ。

私にとって、とてつもなく大きな戦いだ。

馬車は小刻みに揺れながら私達を戦いの場へと着実に近づける。


・・・・

「…はぁ、やっと帰ってきた…」


数日かけての移動を要する国と国との行き来は、急ぎという事もあり、かなりの体力を消費する形となった。

自邸への到着が夕刻だった為、昌平君と会うのは明日の朝に。
婚前である為、夜間に会うという誤解を生みやすい状況による互いに要らぬ噂を立てたくはない。

簡単な身支度や、養父とのもしものときの対策を話した後、早めに体を休める。


・・

「…最悪だ…」


一睡もできなかった。

会社のプレゼン前日の気持ち……いや、デスゲームに巻き込まれたぐらいの最悪なコンディションだ。


起きて早々侍従達に囲まれ、支度を済ませる。

「さあ、こちらの飾りをつけましょう!」

花をモチーフにした繊細で美しい髪飾りを用意される。

「今日のはそういうのじゃないから必要ないの…」


キャッキャととはしゃぐ侍従達に頭が痛くなる。


「名無しさん様、噂では昌平君様は大層見目麗しいとのことです!!そして、四柱の1人!そのような方がお会いしたいとおっしゃるのですよ!!」


「はぁ…。一つ言わせて。」

「はい?」

侍従達の手が止まる。

「今日は、私や父上、母上、そして貴女達の未来が…命が左右される大事な日。縁談ではなく、交渉の場…戦場も同然…」

「…!!」

そう、縁談ではないだろう。
私という存在を認識したのも王騎軍との事が噂になってからだろう。そこから次に大きな出来事といえば、今回の趙国訪問。春平君の事については呂不韋丞相が一枚噛んでいる。
他国とも交流がある…しかも廉頗将軍にはそれなりに好感を持たれた……かもしれない。
手中に収めればどこかで駒として使えるだろう。


…しかし、秦国で名のある商人の娘は、得体の知れぬ所詮は養女。婚姻関係を結ぶまでもない。
宮女として入れるか、侍従として使うか、が良い線。
断れない立場である私達にはその呼びかけで十分、といったところだ。

「貴女達にも、今日がどれほど覚悟が必要とされるのか、理解して欲しい。」

「も、申し訳ございません…」

侍従達が私の発言に顔色を変えて頭を下げる。

可哀想だが、現実を知ってもらいたい。
私の命だけでは済まないから。


「…だから、貴女達には、女として私を飾り立てるのでは無く、《商談》に参加するに相応しい正装という鎧をお願い。」

「…!名無しさん様……!!!」


あとは、覚悟と言葉…私の持ちうる限りの全ての"武器"を使って挑むのみ。

侍従達が気を引き締めて私の身支度を整えていく。


派手にするでもなく、しかし、地味すぎるわけではない。
清潔感と少し気品の漂う装い。纏めた髪には廉頗将軍から貰った簪が。


「うん、これでいいかな。皆、ありがとう。」

「「「「はい…!」」」」

皆気合の入った、しかし、少しほっとしたような顔で返事をする。
…と、ちょうど良く、外から私の名前を呼ぶ声が聞こえた。

「……いよいよかな。」


下にはもう"商談相手"が到着したようだ。


深呼吸を一つして、私は歩き出す。



行け。逃げ道なんてないんだから。
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