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□マルランに想いを込めて
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数年間過ごしてきた部屋に置かれた自分の荷物の片付けを全て終えて部屋を見渡すと、蓋を開けっ放しだったグランドピアノに気がついた。

ずっと弾いていたピアノ。
このピアノでレンくんの曲をたくさん作った。
二人で楽譜と向き合って、たくさん書き込みをして、何度もメロディーを書き直して、その時その時で二人が出来るベストな曲を作ってきた。

人差し指で鍵盤をなぞる。

たくさん曲を弾いた。
同じ曲を何度も何度も弾いた。
もっと魅せられる曲になるようにと、レンくんと二人で…。

時にはレンくんのサックスと、即興でセッションもした。
その瞬間ごとに、お互いの気持ちに合わせて、その時にしか、二人でしかできない曲を紡いだ。

楽しかった。

嬉しかった。

幸せだった。

こんなにも誰かと通じ会えたことは今まで生きてきた中でない。
レンくんだけだった。

これからもそんな相手にはきっと出会えないだろう。

そのくらいかけがえのない大切な人で、大切な時間だった。

レンくんの事が誰よりも、何よりも大切だった。

その大切なレンくんは、レンくんの大切な物を、私のせいで今失おうとしている。
ずっと隠してきた私という存在がバレて、スキャンダルが発覚。
ST☆RISHとして軌道に乗り、不動の人気を得て数年、こんなスキャンダルは出ては行けなかった。
アイドルとして本気になった彼を私が汚してしまった。
彼を、ST☆RISHを潰してはいけない。
そう思って、彼と過ごしたこの大切な家から、彼と共に所属していた事務所を辞めて、出て行くという決意を固めた。

私達は外では非の打ち所がないくらい完璧に他人を装っていたから、どこから情報が盛れてしまったのか本当に分からなかった。
それでも出てしまった報道。
この世の終わりだと感じた。

表立って公言する事はできないけれど、影から彼を一番近くで一番強く支えると、そう誓ったのに…。


残る悔いと、切なさが溢れてくる。

彼の夢だけは、彼の本気の気持ちだけは守りたかった。
これからも彼が皆と笑ってステージに立てるようにと。

歪む視界に気づいて、泣くまいとピアノの鍵盤に蓋をした。


リビングへ戻ると、テーブルに飾られたままになっていた五本の真っ赤な薔薇が視界に入った。

レンくんがソロ曲の大成功を記念して、サプライズのプレゼントでくれた薔薇。
私への感謝の気持ちだと言ってくれた。

五本の薔薇には、あなたと出会えて心から嬉しいという意味がある。この薔薇をくれた時に、それは言っていなかったけれど、きっとレンくんの事だからそれを分かった上で五本くれたのだろう。

薔薇は私もレンくんも大好きな花。
彼の薔薇園にも連れていってもらった事が何度かあった。
夜の事が多かったけれど、たくさんの種類の薔薇が花を咲かせていて、ガゼボから見る薔薇達はとても綺麗だった。

この五本の薔薇は、その中でも私が一番気に入ったシャルル・マルランという品種の薔薇。
黒紅の花びらで、ベルベットのような質感。ダマスク系のいい香り。情熱的で大人の魅力を放つレンくんみたいで大好きな花。

私の物だけがなくなったリビングの真ん中、テーブルの上で寂しく咲くそれを一本だけ抜き取った。

未練がましい事は分かっている。
それでも何かを残したくなってしまった。

こんなにも愛しているのに、こんなにも大切にしていたのにと…。
馬鹿だなぁ、気づいたらきっと困らせてしまうのに。

一本だけ持って、四本はそのままここに…。

私がここにいた証拠。レンくんを諦めきれない気持ち。
もしかしたら気づかないかもしれない。
その時はそれでいい。
ただ私が諦めきれなかっただけだから。

手に取った一本の薔薇の香りをすっと吸い込むと、思い出の沢山詰まった部屋に背を向けて歩き出した。






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