short
□夢現つ
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貴方は言った“俺で満たされているだろう?”と。
私は思った“それなら何故、私の心はいつも隙間だらけなの?”と。
貴方は言った“俺は優しいだろう?”と。
私は思った“それなら何故、埋めたはずの私の心に時々穴が空くの?”と。
私の心の形と貴方の想いの形はぜんぜん違うみたい。
いつも隙間だらけ、溝だらけ。綺麗に埋まった事なんて一度もないの。そればかりか、貴方は時々埋めたはずの私の心にぽっかりと風穴を空けるの。
ねえ、知ってる?貴方の心無い一言で、私の心にどれだけの穴を空けるのか。
具体的な言葉なんて、貴方のその沢山の針が痛すぎて、覚えてなんていないの。
それでも確かに私の心は穴だらけ。
傷んだ心を癒すように、埋まらない隙間を埋めるように、酒に溺れた。
弱い酒なら少しずつ、強い酒ならどっぷりと、私の隙間だらけの心を埋めた。
それでも朝にはまた隙間だらけ。
貴方の前では満たされたフリをして、幸せな女を演じて、また穴だらけ、隙間だらけ。
もうなんでフリをするのかも、演じるのかも分からなくなってしまった。
弱い酒じゃ、少しずつなんて待っていられなくて、強い酒を飲み続けた。毎晩、毎晩。
どっぷり、じわりと、瞬間で深く、温かく。
泥沼で、ぐずぐずで、どす黒く渦を巻いて、堕ちて逝く。
ロックグラスを片手にバーカウンターに突っ伏した。
ひやりと冷たいカウンターテーブルが頬に心地よい。
ゆっくりと瞬きをして、グラスから垂れる涙を眺める。
泣く…
最初はそうした事もあった。それでも隙間なんて気づかないフリをして一生懸命、貴方に着いて行った。
昔が懐かしい。恋に恋する女の子だった昔の私。今じゃ昔の私に首を締められ、愛を哀する唯の女。
いっその事、愛だの恋だの、もう全部やめてしまおうか?
そう思っても、なかなか踏み出せないのが現状。
恋しているのかと問われれば、否と答える。
愛しているのかと問われれば、否と答える。
情を移して、情に縛られて。
「お前さん、毎晩此処に来ては酒を飲んでるが、ちっとも美味そうじゃねぇな」
カウンター沿いのいくつか隣の席に座る男に声をかけられた。
低くじわりと響く心地のよい声。
嗚呼、強い酒に似ている。暖かくて、温かい。
「そんな飲み方してちゃ、こいつに失礼だぜ」
そう言ってロックグラスをカランと鳴らした。
嗚呼、やっぱり温かい。
ゆっくりと重たい頭を持ち上げて、その酒の様な声の主
に視線を向けた。
落ちた。
それが一番しっくりくる感覚。
これが落ちるという本当の感覚なんだと思った。
視線の先には、細身でダークスーツとそれに似た色の帽子を深々と被った髭面の怪しい男。
今まで好みだと思った男の見た目とは似ても似つかない、まるで違う男。
それなのに、どうしても目が離せなかった。
一瞬で心がいっぱいになった。隙間なんてみじんもなくて、泥なんて全くなくなって、清々しいのにそわそわする。
あれから数日、彼は一度もバーには来なかった。
彼はやっぱり、酒に溺れた私が作り出した幻想だったのではないかと思う。
あんなにも私の心にすっぽりとハマって、温かくて、心地よくて、満たされた気持ちになる人なんて現実ではありえないから。
都合良く穴だらけの私の前に現れて、私の心を埋めて温めて、すっと消えた。
やっぱり強いお酒と一緒。
目が覚めればまた、隙間だらけ。
いつもと同じ。
でも、いつもと違うのは寂しさを感じる事。
どろどろと渦巻く、抜け出せない泥沼に居たはずなのに、足が軽くて涼しい。
私は初めて貴方の約束を破った。
少し前の私なら絶対にしなかった事。
久しぶりに泥沼じゃない、石畳の感触をヒールから感じた。
ただただ街を歩く。それだけ。
たったそれだけの事なのに、街の色々な所に目がいった。
風の感触、陽の光。
花の香りに、路地裏の猫。
猫。
真っ黒な猫。
あの人みたい。ちらりとこちらに黄色の視線を向けて走り去った黒猫を見て、あの人に似ていると思った。
酔った私が作り出した幻想のあの人。
また、逢えないだろうか。
再び街を歩き出すと、さっきの黒猫とたぶん同じ子が私に寄ってきてにゃあと鳴いた。
ふわっと涼しい柔らかな風が吹くと、黒猫は目を細めて私の足に体を擦り付けてごろごろ鳴くと、あのバーのある方へ歩いていった。
何故だか分からないが、あのバーに行けばきっとまたあの人に逢える気がした。
今日はきっと美味しいお酒を飲める。
end.