六花の絆

□霧の中の出会い
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三間先も見えぬほどの濃い霧があたりを包み込んでいた。

黒衣に身を包み、白布で頭を覆った者が一人。
薙刀を片手に五条大橋の欄干にもたれていた。
 
その顔は憤怒に赤く染まっていた。――文字通りその顔は赤く色づいていた。
目はかっと見開かれ、剥き出しの八重歯が下唇に刺さっている。――それは、鬼の仮面であった。
顔全体が覆われており、その素顔は皆目検討もつかない。
 
絞り袴からのぞける素足は細く、ひきしまっていた。
草鞋を履いた指先は泥土で汚れているなかにも、力強さをにじませていた。


――五条大橋に大入道あり。通りがかりの者の刀を奪い、女子どもにも喝を入れ気を失わせる。


その者は仮面の裏で思わずふっと口元をゆるめた。この頃京の人々の間で噂されている物盗りの話である。


「まったく……何がどうなってそんな話になったんでしょうね」


――まあ、あながち間違ってはいないけれども。鬼は胸の内に言葉をしまった。
 
もうすぐ日も暮れる。さて、かの待ち人は来るであろうか。
 
 
鬼ははっとしたように欄干から背を浮かせ、薙刀を握りしめた。ざっざっざっざ、と地面を蹴る音が遠くから聞こえる。
 
淡く上がる口の端。獣のように煌々と光る瞳。鬼の待ち人が恋慕の相手でないことはあきらかであった。
 
 
目を細め、霧の先を見つめる。さあ、待ち人来たりか。随分と、急いだ足取りである。
奇襲でもしてくるつもりか。――いいや、彼がそのようなことをするはずはない。猪のように馬鹿正直に真っ直ぐ突っ込んで来る。正面突破だ。
 
 
霧の向こうから小柄な人影が抜けて出てきた。どくり、と鼓動が胸を叩く。――ああ、生きている。戦いの高揚が、生をまざまざと突きつけてくる。


「やっと来ましたか、待ちくたびれま……」


鬼は、目を丸くした。――違う、彼じゃない。
そうとわかった瞬間、燃え盛っていた闘志がひゅっと水を浴びせかけられたようにしぼんだ。構えを解こうとして、青年は息を飲んだ。
 
向かってきた人影は、飛び上がったかと思うと欄干を蹴り上げ、鬼に向かって足蹴を繰り出してきた。
 
 
顔面めがけてきた一撃を薙刀の柄でなんとか受け止める。人影の草履裏についていた土埃が舞い、鬼は目を細めながら振り払った。
 
 
ひゅっと風を切る音に、本能的に薙刀を振るう。どこから取り出したというのだろう。その者は太刀で鬼に切りかかってきた。
が、と音を鳴らし、切っ先が面の端にかかった。ひゅっと風を切る音とともに、仮面が弾け飛ぶ。
 
鬼は――いいや、青年は目を細めた。憤怒の鬼の面の下から露わになった顔は、人間の顔であった。
 
見た者がはっと目を見開くほどに整っており、そしてまだ幼さを残していた。
山寺におれば、愛玩の稚児としてもてはやされていたことであろう。
 
 
霧で艶を含んだまつげを押し上げ、青年は思わず目を見張った。
切りかかってきたその者は、少年――青年にはそのように見えた――であった。
 
この界隈にいる者には珍しく顔は綺麗に洗われ、華はないが土埃で霞んでいない小綺麗な着物に身を包んでいた。
 
まだあどけなさを残している顔立ちであった。禿よりも短く切りそろえられていない髪が風に揺らぐ。
目にかかりそうなほどの前髪の間からのぞける目は猫のようにつり上がっており、獣のようにぎらりとした眼光は目が合った途端に丸みを帯びた。


「あいつじゃない……っ?」


顔立ちと同じく、成育しきっていない声であった。砂埃を立てながら、互いに距離をとった。


「あんた……あいつがよこした追っ手か!」

「さ、て。なんのことやら……君とは初めて会うと思いますが」


どうやら、待ち人ではなかったようだ。青年は手に力を込めた。――だが、かまいはしない。
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