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□スパゲッティシンドローム
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近頃、俺の所属するサークル内ではある噂が流行っている。

『三鷹山の山中には何かの実験施設があって、そこには実験により作り出された化け物がいる。』

…てな感じで、パッと聞いただけだと下らない噂なんだが、この噂の半分はマジなものだからやけに信憑性がある。
三鷹山には、確かに何かの大きな施設があるのだ。そして噂を確かめようと山を登り、施設の中で実際に何かの声を聞いたというサークルのメンバーが何人かいて、彼らの証言を聞いて俺を含む4人のメンバーで施設へ向かうことになった。




朝のうちに登り始めたものの、登山慣れしていないメンバーばかりだったために施設へ着いたのは昼頃になった。
謎の施設は分かり易い廃墟といった感じで、中に入るとガラスや何かの破片が散乱していてわりと危険そうだ。床にはガラスや破片の他にも、廃墟になっているにも関わらず乾燥していない緑色の液体が広がっていたりして、不気味さが更に増す。今のところは化け物の声のようなものは聞こえていないので、効率的に散会して探索することになった。


「…うえ。なんだここ…?」

何か緑色の液体で満ちたケースに浮かぶよくわからない『何か』たち。胎児のようにも見えるソレは、嫌悪感を掻き立て足をより早く進めさせるには十分だった。
規則的に並べられたケースの道を通り抜け、最奥にある分厚い扉の残骸が転がる部屋へ足を踏み入れる。中には扉からまっすぐ伸びた通り道と、それ以外を埋め尽くす大量のコードやケーブル。そしてそれに繋がれた、一際巨大な緑色の液体に満ちたケースと――その中に浮かぶヒト。
コポコポと泡が生まれる音がするケースの中で、ヒトが浮かんでいる。これだけ壊れている施設の中で、やけに分厚い扉に守られていたケースとその中身はまだ生きていた。
ジリ、と一歩後退さる。その行動が何かのトリガーになったのか、もしくはただ劣化のせいなのか、ピシッとケースにヒビが入った。

「嘘だろ、っ!」

何か甘い匂いがする、そう思ったのも束の間。数多に分かれ走ってゆくヒビから緑の液が漏れ出し、逃げる間もなく水流となって俺の足を掬う。押し流されないよう踏ん張るも虚しく、壁に背が叩きつけられて咳き込んだ。
緑の液体が外へ逃げ出し水が引いた室内で、液体が発する強烈な甘い匂いにむせていると、ぴちゃぴちゃと水を踏む足音がした。声もかけずに近寄ってくるソレがケースの中にいたあいつだと気付きながらも、逃げることすらままならない。こいつが噂の化け物なら、俺はここで死ぬのかもしれない。固く目を瞑り、訪れるだろう最期の瞬間に備えていると、

「ダアリン」

低い声が、甘く甘く俺を呼んだ。
聞いたこともないような、ともすればくらくらと魅了されてしまいそうなくらい美しい声が、俺に向けて発せられている。何事かと瞑っていた目を見開くと、恍惚と細められたビビッドピンクと目が合った。

「ダアリン、どう、しました?」
「…は…、」
「ワタシ、まだ、上手、喋れません。でも、アナタ、わかります。ワタシ、の、ダアリン」

理解が追い付かない。
目の前にいるこの世のものとは思えないくらい美しい造形の男は、初対面の俺をダーリンと呼ぶ。どういうことだ。どうなっているんだ。ダラダラと冷や汗が頬を伝った。

「ダアリン、顔、青い、ですね? 寒い、ですか?」
「ち、ちが…」
「暖か、します」

濡れた腕が首に巻き付く。それどころか、びちゃびちゃになった服越しに肌が密着している。抱き締められている。目の前のよくわからない不気なやつに。
それに嫌な気がしないのは一体どうしてなんだ。こいつの声とか顔がいいから?好意を向けられるのが嬉しいから?でもこいつの言ってるダーリンって多分俺じゃ

「アナタ、ですよ。」
「え…」
「ワタシ、アナタ、長い、待って、いました。何十年後、会える、理解、していました。」
「…それって、どういう」
「アナタ、ワタシの、ダアリン、です。」

そう言って至近距離で笑うこいつが、あんまり優しい笑顔をしていたものだから。
なんで嫌な気がしないのかなんてどうでもよくなって、俺が気にするべきことじゃないのかもしれないなんて思って、傷ひとつない生白い背中に腕を回した。そのまま少しだけ力を籠めたらトクトクとしっかりした鼓動を感じられて、無性に泣きたくなってしまう。――ああ。こいつは、生きてるんだ。




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