雲路の果て

□第十二話
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俺の考えが甘いものだったと、思い知らされたのは最終選別を終え、目を覚ました時。
そこに錆兎は居なくて、名前は泣くのを堪えながら、ずっと堪えながら、俺の看病に身を割いた。

錆兎が帰ってこられない事が悲しいんだろう。そう思った。

俺が奪った。
俺が奪ってしまった。錆兎も、名前の屈託なく微笑う姿も。


次第に、どう、顔向けしたらいいのか、わからなくなった。
いっその事、錆兎が帰って来ないのは俺のせいだと責めて欲しかった。
だけど名前は、ずっと悲しそうに微笑っていて、その顔を見るのが辛くて、逃げた。



雲路の


「…鱗滝さん、名前はやはり最終選別に…」
隊服に身を包み最後の挨拶をした後、尋ねた義勇に
「行かせようと、思っている」
予想もしない答えを聞いた。
「…何故!?」
「本人の希望だ。無論、今すぐではない。怪我が完治した後にはなるが」
「…あの時、何故錆兎が止めたのか今の俺にもわかります!名前では…」
「本人が決めた事だ」

そこから、鱗滝は何も言わなくなった。


「義勇!」
すっかり顔色も良くなり、いつものような笑顔を見せる姿に、
「お前のような人間は生き残れない。無理だ」
そう吐き捨てたのは、正直、怖かったからだ。

名前が錆兎のように、死んでしまうのが。
お前のような優しい人間は、生き残れない。
そう言いたかった。

途端にポロポロと両目から大きな涙を流す姿に、変わらないなと思った。

嫌いになっただろうか。恨んでいるだろうか。

ただ、生きていて欲しい。
それだけだった。


狭霧山を離れた義勇はそのままいくつもの山を超え、鬼の頸を狩った。
赴任したての慣れない任務で明朝まで戦い続け、心身ともにボロボロになっていた時、名前から受け取った風呂敷を思い出し、その場に腰掛ける。
それを開けば、綺麗な三角形の握り飯。
空腹が限界を超えていたため、すぐに頬張れば今まで食べた握り飯よりも、とても美味く感じた。


鬼殺隊に入り二ヶ月ほどした頃、最終選別で重傷を負いながら、生き残った少女がいると聞き、すぐに名前だとわかった。

気が付いた頃には、狭霧山へ向かっていた。
まるで最終選別当日、あの日みたいに横たわったままの名前に、失礼なのは承知の上で無断で鱗滝の家に上がり込んだ。
静かに傍らへ腰掛ければ、穏やかな寝顔が何故かとても懐かしく感じた。

「…名前」

小さく名前を呼んで、存在を確かめるように頬をそっと撫でる。

(…生きて、る…)

心の底から安堵したのと同時、義勇はこの瞬間に、気付いた。

それは、ずっと意識の奥底にあった感情。
まだ幼かった義勇にそれを理解するのは難しく、今までは錆兎が傍に居た分『仲間意識』の方が強かった。

しかし、今は…
はっきりと気付いてしまった。

仲間でも、友人でもない
名前に対する、愛情を。


反射的に手を離して立ち上がった。
口唇を噛み締めた理由は、義勇自身にも良くわからない。
怒りなのか悔しさなのかわからないが、とにかく湧いた感情を振り払いたくて、逃げるように家を後にし、全速力で走った。


気付きたくなかった。
知りたくなかった。
今更そんな事に気付いてどうすればいい。
どうしようもない。
そんな言葉がずっとグルグルと頭の中で回っていた。

錆兎が居ないのに、そんな資格すらない。

きっと、恐らく、名前は、錆兎の事が好きなんだ、と。
随分前から、そう思う事が、何度もあった。
錆兎がどうだったかはわからない。
直接的にそんな事を聞いた事はなかったから。

聞いた事はなかった…から?
いや、違う。聞かなかったんじゃなくて、聞けなかった。
無意識に、無自覚に
触れないように。
怖いから
触れないようにして

自分の気持ちさえ、気付かぬフリをしていたのに。

立ち止まったと同時に一筋零れた涙。

此処に錆兎が居たなら…居てくれたなら…
そんな、とてつもない寂寥感に襲われた。


 * * *


それから義勇は、名前の存在を一切、忘れているかのように振る舞った。

元々、管轄圏内での任務かその後の蝶屋敷くらいでしか顔を合わせる事はなかったが、名前は会うと必ず
「義勇!」
屈託のない笑みで手を振ってきた。
おはよう、こんにちは、こんばんは、お疲れさま、様々な言葉を掛けてきたが、悉く視線を合わさず聞こえないフリをした。
義勇が柱になってからは、その立場や周りに気を遣ってか「義勇」と名前で呼ばれる事はなくなった。
それを寂しいと、思う気持ちすらも隠して。

けれど、無意識に、気付かれない距離の名前を目で追う事は多かった。
まだ若干、幼かった顔つきがここ何年かで綺麗になっていったのも、前柱の胡蝶カナエに勧められ、仕立ての仕事を始めた事も、甲(きのえ)になってから、上手く隊員や隠に指揮しているのも、把握はしていた。

錆兎が、今の名前を見たら、喜んでいたに違いない。
そう思うだけで、胸が軋んで痛かった。


元気な姿を偶然でもいい。
遠くから見られたのなら、それでいい。
そんな義勇の日々を壊したのは、竈門炭治郎だった。

始まりは呼吸の派生を聞かれ、つられるように
「名前」
その名前を口に出した時。
次は、
「…名前さん、とても悩んでいました」
そう言われた時。
何に対して悩んでいるのか距離をとっていた義勇にはわかるはずはなく、本人に聞くべきなのか、それすら躊躇っていた所で隊員の話を聞いた。
「結婚するんですか!?苗字さん!」
その一言に心が痛まない筈がなかった。
痛む所か、今までになかった黒い感情が支配した。

頭では理解していた。
名前にも、もうそんな話が出てもおかしくないのは。

でも、だけど、じゃあ、錆兎は…?

その頃の、義勇にとっての言い訳はそれだった。
勿論本人はそんなつもりではなかったが。


耐えられず名前の屋敷に向かっていた。
戸を叩いた後、いきなり水を浴びたのは多少なりとも驚いたが、それよりも酷く動揺した名前の表情に笑ってしまいそうになる自分がいた。

手拭いで顔と髪を拭きながら、鮮明に思い出したのは酷く遠く感じる過去。

臆病で泣き虫で、でも真っ直ぐで屈託なく笑う姿が、大好きだった。
いや、今もずっと愛おしい。

その想いが堪えられなくなったのは、細腕にくっきり残された手の痕。
自分以外の誰かにつけられたそれが、無性に悔しくて、その首元に接吻けていた。

その後すぐに逃げるように立ち去ったのは、これ以上此処にいるのは危険だと、義勇の理性が判断したため。

ようやく冷静さを取り戻した帰り道、自分が何をしたのか、脳が認識した瞬間に灼けたように顔が熱くなるのを感じて、
「……っ」
誰に見られている訳でもないのに、思わず右腕でそれを隠した。



Impatience
溢れ出す焦燥
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