くだらない内容です。
そして読んだらブルーになるかもしれません。
それでも大丈夫という人は


























恩返ししたい時に親は無いと言うけれど
本当だと思う
現に父親はもういない。
本人は若いころ50くらいで死にたいと言っていたそうだが
まさか本当になるとは夢にも思わなかっただろう
晩年はそう思っていたかはもうわからないが
きっと生きていたかったと思う。
そういえば霊柩車を見たときに親指を隠さなければ親の死に目に会えない
という言い伝え?がある。
実は自分は何気なくそれを実行していた。
霊柩車を見たときは絶対に親指を隠していた。
それでも間に合わなかった。
きっと自分でも記憶がないくらい小さいころ
親指を隠さなかった事があったんだろう
だから間に合わなかった
あの時は家を出た事を後悔したが
多分それを本人に言えば喜びながら怒ってくるだろう
なんのためにあの学校に行ったのかと
でも間に合いたかったな
ただ一人の父親だから
男の中で一番好きな人だから
多分父親が亡くなる一年前くらいだと思うが
父親と一緒に風呂へ入って自分は親の体を見て泣いた事がある
あんなに逞しかった腕が自分より細い
明らかに体が弱っているのがわかる。
それを見て死なないでと泣いた事があった。
父は笑いながら頑張ると言った。
それから一年間父は頑張った。
自分の命が消える日まで。
前日は遠くの方へ仕事に行ってたらしい
そして最後の言葉を聞いたのは一番上の姉。
「寝付けないんだ」が父の最後の言葉
その後一階に戻った姉が不振に思い、二階に戻ってみると
父はもう寝ていたそうだ。
拡張型心筋症
難病らしく直すには移植しかないらしい
父は病院に行く暇を惜しんで仕事をしていたらしい。
死んだ父を調べると実は6〜7の病気を抱えていた
きっと本人も知っていただろう
自分はもう助からない
なら最後まで家族の為に働こうと。
もしかしたらこれは俺が父を美化しているだけかもしれない
実は病気もなんとかなると思っていたのかもしれない。
でも家族の為にというのは本当だと思う。
あの人ならそうするだろうと自信を持って言えるから。
なぜなら自慢の父だから。
こんな文章を何故いまさら書いたのか解らない。
父が死んで一年以上経ったからこそ書けるのかもしれない。
でも何故か文章にしておきたかった。
もしこれを読んでくれる人がいるとしたら。
どうか親を大切にしてほしい。
ベタな言い方だがよくわかった。
失って気づく幸せ
そしてもし家を離れている人がいるとしたらどうか親に電話を一本かけてほしい。
俺は父がいなくなる数日前に電話をもらっていた。
でも出れなかった。
そして掛けなおさなかった。
いつでも掛けなおせると思っていた。
もうその電話は二度と掛けられない。
あの電話越しの優しい声が聞けない。
今自分の手元に残っているのは父の写真と一件の留守電
内容は何てことないものだが、だからこそいつも通りの父の声
それだけが自分に残っている父の欠片

切に願う、父に冥福がある事を

どうか、親を大切にしてください。

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