□紫
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あいつのあんな真剣な顔…初めて見たな。


その顔があんまりにも可笑しいから、笑ってやろうかと思ったのに不思議なほど体に力が入らない。

そして背中が焼けるように熱い。


俺の背中を守るんじゃなかったのか?

いつも背中を預けている相手が今はもう動かない。

そして俺も…きっとすぐに同じようになる。

不思議と恐怖は無い。

あの世でもまた世話掛けるな…。


そう思った視界に真剣な表情のそいつが飛び込んできた。




ああ…また、お前をひとりにしてしまう…。


俺の体を抱き起こしてそいつはまだ、今まで見たこともないような真剣な顔をしている。

そんな顔似合わねぇぞ、って笑いたいのにどうしても力が入らない。



ふと、あいつに初めて会った時のことや、今に至るまでのことを思い出した。

これが走馬灯って奴だろうか?




はじめは変な奴だと思った。

俺と違って白と黒で…。

少し言葉を交わしても中身が空っぽだった。


いつも何かに囚われているような、心をどこかに置いてきてしまっているようなそんな感じがした。


気が付くと、少し距離を置いたところからこちらを見ていることに気付く。

殆どは気付かないふりをするが、いつだったか声を掛けたことがある。


「お前もこっちに来いよ」


その時、一瞬だけ見せた恨めしそうな顔を今も忘れられない。


執着…

あいつは確かに、ある人物に執着していた。


本当に変な奴だと思った。

ある人物に執着しているくせに何故俺のところへ来るのだろうと不思議に思っていた。



不思議に思いながらも、その目から逃れられないような…そんな気すらした。



そんなある晩のことだった。

秋口なのにまだ風は生温く、俺は寝付けずに縁側に出ていた。

もしかしたら、なんとなく心のどこかで望んでいたのかもしれない。


あいつが、どこかから来ることを…。


音の無い夜だった。
いつもは秋の虫が鳴いているはずなのに、その日は本当に音も無く…そして月も無かった。



「こんばんは」


闇の中から声がした。


いつもはすぐに駆け付ける右目は、遣いにやっていたからいくら待っても来なかった。



声のする方に目を凝らせば、そいつが気配もなく立っていた。

いつからそこに?

そんな質問は愚問だった。
そいつはいつも「いつからか」そこに居る。



「まだ眠っていなかったんですね?そう思って来たんですよ」

段々とこちらに近寄るほどに、そいつの輪郭がハッキリとしてくる。

「今日はよく喋るんだな」

そう言えばそいつは「邪魔者が居ませんので」と笑みを浮かべた。



距離を詰められる度にわけの分からない寒気がした。
それは今までに感じたことのない類いの恐れ…。


「今日のあなたはどこか覇気がありませんね…右目殿が居ないからですか?」

「…」

その質問には答えなかった。
答える筋合いもなかった。

急に押し黙った俺を見てそいつは言った。

「…あなたが右目殿に寄せている想いは分かりますよ」


なんとなく予想はしていた。
この想いはきっと、本人にだって伝わっている。

別に隠そうとも思わないが。



「だったら何だっつーんだよ?」


「いえ?別に」


そう言った後でそいつは俺のすぐ目の前まで来て言った。

「ねえ、独眼竜?あなたの想い人にしたかったこと、私にしてみませんか?…ああ、あなたの場合は『されたいこと』ですか?いいですよ、言ってください何なりと」

そしてそいつはただ俺の目を見据えた。

その目は、やっぱり…空っぽだった。


すると突然唇を塞がれた。

「…おい…まだ何も…」

「何かする前には、言わなければならないのですか?…でしたら『あなたに口付けたい』とでも言っておけばよかったですね」

そう言ってそいつは口元だけで笑った。



この状況は一体なんだ?

何とも想っていない相手にされるがままになっている自分。

至近距離で見たそいつの意外に整った顔に思わず目を見張る。
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