09/08の日記

14:51
ゆらぎ
---------------
ただの閃きですが、もしかしたら
生まれる直前に記憶がリセットされるのは
厳密に言えばこの世に生まれる前ではなくて
神様に入った時、恍惚とするあまり、
それまでの意識が吹き飛んでしまうのでは無いか?

肉体を持っていた時の情緒の振動数とのあまりの違いに
以前の場所に戻ろうとしてまた受肉する。

つまり地上の人達が持つ感情のテンションに慣らされてしまった為、
応急の(自我)救済として、また戻って来てしまう。
これなら感情面と行動の辻褄が合う。

とすれば神の視点から正解と言える答えはひとつ。
馴れ合いのままではまた繰り返されると言える。

もし言葉を笑われるのであれば
この世の常識を謳う馴れ合いの輪から一旦離れて
自分のペースを神の呼ぶ声に合わせることが
自分に歓び、神に歓ばれるだろうと思う。

前へ|次へ

日記を書き直す
この日記を削除

13:18
同化
---------------
「今ここ」とは魂が心と合致すること。
感情と言う、思考から発生する個人だったはずの心の波と
魂と言う、懐かしい故郷が融合すること。

そのスイッチが入った瞬間、
どこかに行っていた魂が私の中に戻ってきた、と感ずる。
それはいつも待っていた神様が座りやすい心になったこと。
何故か人の言葉も自分の色眼鏡でなく当たり前のように染み込み、
何を返せばよいのかも当たり前のように湧き上がって。

輪廻はその安堵感からちょっとはみ出た願望に近い迷い。
だから何処に行かなくてもいいと思える「今ここ」に居る実感を。

誰もがひとつの生を終える度にそこへ戻っているのに
「今ここ」よりも最上があると勘違いしてしまう。

今の私だけでない感じ、種々の感情への飽き足り、
実はそれを何処かで解っていた巻き戻し。

一期の私から幾多の名の違う私が居たこと、そのラインから湧き上がる魂の場。
掃けなかった私一人分の悩みは意味を無くす。

知りたいことはもう何度も知っていたことだと、繰り返さない為の記憶の復活。
永久の安住が隠された松果体。

それは原初からの魂が続いていた事を思い出すこと。

楽園から逃げ出した「私」が味わう獲物を追いかけて
「今ここ」から離れたりしないこと。

前へ|次へ

日記を書き直す
この日記を削除

[戻る]



©フォレストページ