09/30の日記

11:04
結晶
---------------
蜂の巣のようにそれぞれに部屋があり、
そこにはひとつの心がまだ通り過ぎずに持ち越していた夢幻を
読んでいない感情が味わえる本のように隠していた。

一つの部屋の心は、自分の役目ひとつが蜂の巣全体の感情までを
既知にするものだとはまだ知ってはいなかった。

蜂の巣はこう告げるであろう。
「お前を知っている。お前は確かに私の感情の一部分であった。」
隣の部屋の心もこう告げるだろう。
「あなたを知っている。世界のどこかで
あなたという色が有り得る事を胸の奥で感じていました。」

その役目は何だったであろうか。
くすんで見える色だろうか。和やらぐ心地の色だろうか。
それがたとえどんなであろうと、その癖を発生させた初代があればこそ、
ドラマは編み物のように、知っている思いにして通過してゆく。

スケートをする世界で初めての少年が居なかったら、
私達はそれがどんな動きをするもので、どのようなイメージを
抱かせる行為かも一致させる事は無かった。

見たものを受け入れるのが自然過ぎるほどの世界で、
私は実は私ではなくこの世界に体験しようとしている
大いなる観察者がいることの気配に気づく。

例えば私がふざけて街ゆく人達に向け、
不意にジャンケンをしたとする。

その瞬間、それを向けられた側は、
ほんの少し、普通で無いと感じる状況と見た事のあるジャンケン
と言う行為である事を認識したのち、

もはやその状況までに慣れてしまい、呆れた風か
変人扱いか、また何らかの抜け道によって間もなく
自分にとっての通常と感じるマインドに戻るだろう。

数分後、その人を追いかけてジャンケンをしても、
もう以前のような驚きは見せない。

人ひとりの私と言う体験は、確実に
ひとつのおおきな意識で同時に体験されている。

シナモンの香りを珈琲に添える。その発想はもしかしたら
二つの個性をブレンドして広めた者よりも先に
誰かが見つけた密やかな楽しみだったのかもしれない。

前へ|次へ

日記を書き直す
この日記を削除

[戻る]



©フォレストページ