02/16の日記
22:36
楽園の仕組み
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全ての瞬間に納得するようになり、観照の状態に入ると、全てに楽しみが見つかる。
そこに苦しみはない。
汗をかこうが、工夫しようが、それも楽となる。これが基準だ。もはや荷は降ろされ、帰郷した。
楽園は誰の承諾も必要としない。ただ、あなたがそれを自分に赦せればいい。
だから、人を傷つけた者より、傷つけられた者の方が楽なのだ。
荷物を背負ってきた者は恐れずに楽園の瞬間に入っていい。
あなたが誰かを鬼に見る時、あなたの心はまだ楽園ではない。
あなたが誰も鬼としない時、誰かがあなたに自分の荷物を持たせるなら、あなたがそれを忘れても、
いずれ、その者があなたを思い出し、楽園を前に戸惑うだろう。全ては理にかなっている。
だが、安心して欲しい。
全ての者は誰かの承諾を必要としない。ただ、自分が自分を赦すのみ。
全ての瞬間を受け入れたなら、その者は楽園の資格者だ。
その者は、もはや過去の誰かに非ず。それを責める者は楽園者に居ない。
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22:35
真我
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どうしても助けたければ、手を貸せばいい。
だが、ほんとうは四の五の言わずに、悲しみもなく手は自然と動くのだ。
この仕組みを紐解いてみよう。
鹿は自分の傷口を見て、嘆き悲しむだろうか、いや、悲しみなどない。
それを見るなり、当たり前のように黙って舌で塞ぐだろう。
そして私と私以外は、それでひとつの鹿の身体だ。それを神の我、「真我」という。
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22:32
観照
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心は感情の事ではない。
心は感情、情緒を入れる器だ。
「生きよう、死にたい、良く見せたい、悪いところは見せたくないし見たくない」とする者は感情の真っ只中にあり、
クッキーを手にとってビターなのかミルク味なのかを味わう「生きようとも死のう」ともしない者が楽園だ。
色鮮やかで多種多様な味わいのクッキーを、
何にもないまっさらなところから、それを摘まんで焦らず急がずじっくりと噛んでいる。
安心して欲しい。
何もないところには何もない訳じゃない。「味わう余裕」が居る。
それがほんとうの自分だ。
ほんとうの自分に癖はあるか。いや、全くないばかりか、おそらく皆、同じところだろう。
それをカミという。
神が一歩ひいたところより、それぞれの味を楽しんでいる。
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22:27
神-世界
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原初、神は在る以外の意識は無かった。そこには有るや無いの概念はもとより、
感じると言う認知が無かった。
そこで神は想像した。
色や音と言うイメージを。直線や曲線と言うイメージを。奥行きと言うイメージを。
神は、それらを感じ取る為に区切りが必要である事を知っていた。
神は自分をイメージした。それが最初のパーソナリティとなる。神はその分身にアダムと名付けた。
アダムは当初、神と同一だった。彼の空想は即、神の創造となった。
アダムは自分とは異なった柔らかさを欲した。と同時に神はそれをよしとした。
彼女の名をイブと言う。
これより、神と二人は神の計画通り、<順調に>すれ違ってゆく。
顕在の誕生、潜在のまどろみ。
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神は顕在化した二人に告げた。
何をしてもいい。だが、善悪を知る木の実だけは口にしてはならない、と。
それを別の言い方にすると、もう1人の自分を罰してはならないと言う事だった。
自分の世界に×を付けてはいけないと言う事だった。
自分を裁いてはならないと言う事だった。それはまるで幻の罪悪感を信じる事だった。
自分で己の手に触れたくないと言うのと同じように。
それはちょうど、テレビを初めて見る人達がドラマの死体を見て嘆くように
幻が次第に生命を持ってしまう事を差していた。
ある日、イブは初めてイブとなる。それは「イブの生き方」を決行すると言う事だった。
彼女はそれが自我の発生だったとも思わずにイブと言う決断を下した。
それまでそこには無かったやり方で、それまでそこには無い概念を生み出した。
自分と彼を周りよりひいきして愛でる事で、結果、彼女は大好きだった彼をもう1人身ごもる。
彼女にとってお腹の子は彼であり、同時に大好きな自分でもあった。
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神は全ての流れを心得ていた。
二人の内の響く本来の声が潜在に追いやられてゆく事で分裂が進む事を、
そしていつの日か二人が抱いた感情により、神を求めて帰って来る事を。
遂にアダムとイブは初めて喧嘩をする。沈殿してゆく二人の神性。
神が持っていなかったもの。
それはイメージを受け入れずに自分の理想通りに変えようとする心だった。
まさに自我が一人歩きした瞬間。
世界の人間は兄弟なのだろう。姉妹なのだろう。
だが人は自分の好きな理想を会う全ての者に照らし合わせて苦悩する。
自分の想像した好みを取り入れては、自分の想像から外れるとそれは不快に裏返る。
分裂を繰り返した個性達は、互いを消耗してゆく過程で私と言う殻がなくなっていた事に気づく。
そして彼らは思い出す。誰の内にも1人の同じアダムが宿っていた事を。
私は何者でもない、私は草木であり、海や山であり、蝶や鳥であり、世界の全てだったと。
そして想像を始める前の在るだったと。
神は帰る者を選んで居ない。
何故なら見たものを信じる必要がなくなったその時、既に帰ったからである。
私は神だったと。
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