02/27の日記

14:25
法則
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法則がある。
その法則とは、いつどこにおいても例外のないもの。
少なくとも私にとっては、と言っておこう。

世界の事を「ドッジボールだ」と言う者が居れば、「いや、ベースボールだ」と言う者も居る。
自分が生きてゆく為に誰かを排除をするのか、それとも誰かと協力するのか。
あなたにとって世界はドッジボールかベースボールか、またはその両方か。

ここまではまだ最初の思案の半歩でしかない。
そしてそのうち、このように言う者が必ず出てくる。

世界が何であれ、その試合を放棄しようではありませんか、と。

ここからが法則の話。いつもその法則は適用される。

それがドッジボールでもベースボールでもいい。
だが、試合を辞めようと誰かに薦める事は、そこでずっと自分が辞めれないという事態を招く。
もし、去るのが自分の正解だと感じたなら、もうそこに声を掛ける相手は居ないのだ。

もし、誰かが君と一緒に辞めるのを待つなら、結局、君は1人残らず辞めるのを待つだろう。
そして、それは果てしない。

気にしなくていいんだ。
もし、君やあなたが世界がドッジボールやベースボールだった事さえ、
心に残す気が無いなら、黙って自分だけ抜ければいい。

同じ役割を果たす誰かは必ずその役割を欲する誰かに適性を見つけられてしまうのだから。

残す世界に対して、自分が信じてしまった世界に対して、何も案ずる事はない。
誰もが去る時は「各自」なのだ。

試合が途中で終わる事もなければ、試合がいつ終わるかもわからないのだから。

人は必ず自分のしたい事を人にもさせたがる。だがそれを気にしてるうちは、
いつまで経っても、そこから抜けれない。

禁煙者は言う。お前も煙草を止めたらいいのに、と。
私はやめようと思ったら道連れを探さずに黙ってそうするさ。
誰かの煙草の煙を気にせずにね。

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