オカルト辞書〜人物編〜

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【浅野和三郎 (あさのわざぶろう)】
1874〜1937年。日本における心霊研究のパイオニア。
「心霊講座」「心霊学から神道を見る」など多数の著書がある。

【アダムスキー(ジョージ=) (あだむすきー)】
人類初のコンタクティ。

1952年11月20日、アメリカ・アリゾナ州のモハーベ砂漠で金星から来たという異星人と会見した。

後、火星人や土星人とも会見し円盤に乗り宇宙旅行も体験したと言う。

【安部清明 (あべのせいめい)】
921〜1005年。平安時代の宮廷で活躍した史上最高の天才陰陽師。その生涯は謎に包まれた部分が多く、出生も、狐から生まれたという「信田妻伝説」、平将門の息子説などさまざま。その呪力はまさに天下無双で、式神と呼ばれる陰陽道独自の鬼神を使役し、怨霊調伏を行い、ときの権力者であった藤原道長を呪術的に守護してもいる。ライバルの陰陽師・蘆屋道満との呪術合戦は有名。

【ウィルソン(コリン=) (うぃるそん)】
1931年〜。イギリスの哲学、社会学、オカルトに関する著述家。高校を中退後、空軍勤務などさまざまな職業を経て、1956年に「アウトサイダー」を発表し、大ベストセラーとなる。以後「オカルト」「ポルターガイスト」「血で書かれた物語」などを発表、現在も執筆活動を続けている。

【役小角 (えんのおづぬ)】
7世紀の人物。修験道の伝説的開祖。鬼神を駆使して日常の雑務を行わせたり、金峰山と葛木山の間に橋をかけさせたりしたという。また最古の小角伝説を記した「日本霊異記」には、自由に空を飛びまわったとも記されている。

【オーベルト(ヘルマン=) (おーべると)】
1894〜1989年。「宇宙旅行の父」と呼ばれるドイツのロケット工学者。世界で最初にUFOの実在を認めた科学者もある。彼は1953年から3年間、7万件ものUFO目撃データを詳細に分類し、50%は錯覚や誤認、39%はデータ不十分としたが、残りの11%に当たる約8000件の報告をUFOと認めた。

【長南年恵 (おさなみとしえ)】
1863〜1907年。明治の日本が生んだ希代の大霊媒。21歳で血を吐くようになって以来、不思議な超能力を発揮するようになった。難病を癒す御霊水を出現させるなど、彼女の評判は急速に広がったが、警察の疑惑を招き投獄される。67日間の拘留期間中、ほとんど食事を口にせず、大小便の排泄もなかった。また風呂に入らなかったにも関わらず、たえず体からは芳香を放っていたという。

【カリオストロ(アレクサンダー=) (かりおすとろ)】
1743〜1799年。伯爵の称号を持つフランスの大魔術師で、フリーメーソンの魔術的分派「エジプト・ロッジ」を創立。イルミナティの秘密工作員ともいわれたが、正体は不明。最後は異端者として毒殺された。彼が大成したエジプト儀礼は、19世紀に魔術結社「ゴールデン・ドーン」が復活させている。

【川面凡児 (かわつらぼんじ)】
1862〜1929年。明治から昭和にかけての神道界の巨人。15歳で大分県宇佐八幡宮の奥の院・馬城峰(まきのみね)山中で697歳の蓮池仙人に出会い、日本最古の禊流の秘事を直授されたという。その後3年間、山中で修行し、自在に幽真界を行き来できるようになった。24歳で上京、「古事記」「日本書紀」を霊解、霊魂学の大系を開示し、45歳で大日本世界教稜威(みいづ)会本部を設立した。以後、独自の鎮魂帰神法を広める。代表的な著書に「霊魂観」がある。

【吉備真備 (きびのまきび)】
695〜775年。奈良時代の公卿、学者。遣唐使として入唐し、多くの典籍を携えて帰国。怪僧道鏡と女帝称徳の下で異例の出世をとげ、右大臣にまで昇った。陰陽道の始祖ともいわれ、安部清明との関係が語られている。陰陽道の聖典「金烏玉兎集(きんうぎょくとしゅう)」を中国から持ち帰り、死の直前、帰国できなかった阿部仲麻呂の子孫に伝えようと、常陸国筑波山麓(つくばさんろく)に分け入り、童子に譲り渡した。この童子こそ、後の安部清明だったという。

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