花と嵐

□手折れる花も無し
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 さて、その翌日。合同の組手の授業は作兵衛の読み通りにはなったが、思惑通りにはならなかった。

(おいっ、こらっ!おい三之助!!)

 作兵衛は、相手である数馬の蹴りを避けながらも器用にその視界の隅に移る上背のある背に矢羽を飛ばす。

(なんで凪雅は奴と組んでるんだよ!!)

「余所見かっ!」

「ぅおっ!?」

 作兵衛の視界で、三之助が逆立ちとなった。

 次いで薄曇りの空、そして地面。

 衝撃。肩を地面に縫い付けられる。

「……作兵衛ぇえ、気になるのは分かるけど本気だしてよぉ」

 数馬の苦笑に「すまん」と一言。
 ざりざりと此方へやってくる三之助を一瞥する。

「もう、さっきから矢羽煩い。せっかく観戦してんのに集中出来ないじゃん」

「……いや、お前なんであっさり退いてんだよ」

「ん、ああ、まあねぇ」

 三之助が振り返った先。凪雅が組み合っている相手の鼻面には大きな当て布がされてある。
 凪雅と三之助が組もうかとしていた折りにやって来たこの生徒に対し、三之助があっさりと相手を譲った所まで作兵衛は見ていた。

「まあねぇじゃねえよ阿呆!あいつとは組ませないようにってお前に任せたんだろ!?」

「んー、まあ良いんじゃね、一回くらい。毒獅子が言うことも一理あるなあって思ったんだよね俺」

「は、何言って、」

 作兵衛の声は、数馬の「あっ!」と叫ぶ声に遮られた。
 ばっと視線を戻せば、地に倒れる凪雅と相手の振りかぶった拳が見える。「ありゃ、まさか目もいっちまったか」という三之助の声に作兵衛は血の気が引くのを感じた。
 慌てて凪雅の元へ向かおうとした矢先、起き上がろうとした彼女の頭を相手が強かに蹴りあげるのが見えた。

「野郎っ!!」

 然し、作兵衛がその相手に掴みかかる一歩手前で、その姿は消える。
 いや、消えたのではない。
 一間も向こうにその体を投げ飛ばされたのだ。

「はいはい、やり過ぎぃ」

 そうへらりと笑いながら、自分と年の変わらない男児を軽々と投げ飛ばした三之助は「他に相手してくれる人いるかあ」と、ふらふら立ち去っていく。投げ飛ばされたその生徒は地面に体を横たえて起きる様子が無い、どうやら昏倒した様である。
 作兵衛はそれを呆れた顔で見やる。
 全く持ってこいつの馬鹿力は、嘗てのあの委員長に匹敵するのではなかろうか。此れが未だ道無き道を進まんとするのを止めねばならぬのだから己ももっと鍛えねばならない。
 そう思えば溜め息が独りでに零れるのだった。

 ざり、と地を擦る音がした。
 そうだった。と、作兵衛は半身を起こした凪雅を見下ろす。
 伏せた顔から、はたたと音を立てながら地に赤い模様を穿つ凪雅は、ずずっと鼻を啜っていた。

「あ、だ、大丈夫か?」

「…………大事無い」

 乱れた髪の下から漸く見えたその顔に作兵衛はぎょっとする。

「ああ、やっぱり。殴る時に爪で抉られてるね。大丈夫?見える?」

 何時の間にやら横に来た数馬が、やや緊迫した気遣わしげな手つきで、血濡れて赤い目元を触る。
 充血した眼の周りは腫れあがる兆しを見せ、下瞼の一寸下に抉ったようなごく小さな傷が出来ていた。
 あのへの字口を歪めもせず、いや、寧ろ更に歪めた、凪雅の肩がびくりと揺れる。数馬の指が皮膚を少し引っ張った為だ。垂れ出した赤い血は数馬の指も少し汚した。

「見える」

「なら良かった、後は鼻血くらいかな。歯は折れてない?」

「ああ、折れてない」

「うん、良かった」

「いや良くねえだろ!」

 頓狂に叫んだ作兵衛に答えるかの様に、凪雅がぺへっと血の混じった唾を地に落とす。
 それから「大事無いぞ」とまた、やや粘ついている声で作兵衛に言うのであるが、作兵衛はその痛々しさに直視を躊躇い「いや、あの、うん」と意味もない相槌を打ちながら先程凪雅が地に描いた赤い模様を見下ろすのだった。

「作兵衛、其処まで騒がなくても大丈夫だよ。顔だから出血は派手だけど……でも頭を打ってるだろうから、暫くは、」

 数馬が皆まで言うまでに、凪雅は重たげな動きで立ち上がり、よろよろと、あの三之助に投げ飛ばされて昏倒している生徒の前まで歩いていく。
 地に体を投げ出した彼の回りにはあの時の取り巻きがおり、思わず作兵衛もそこへ向かった。

「大事無いか」

 凪雅の声にはまだ粘付きがある。恐らくは口の中を切っているのだろう。取り巻き達は凪雅を睨み返した。

「何の用だ編入生」

「大事無いかと聞いただけだ。儂も手当てに行くからついでに連れて行ってやろう」

「はっ、恩着せのつもりかよ」

「ちゃっかり次屋に助けて貰いやがって。富松まで着けてるなんざどんな風に取り入ったんだか」

 先日の凪雅の言葉を借りるのであれば『下卑た』という表現が似合うような言葉と表情。作兵衛の眉間には自然と皺が寄る。
 一方、凪雅と言えば、ゆわんと解れた髪を揺らしながら怪訝そうに首を傾げた。

「はて、儂はついでに連れて行くと言うたんじゃが……おぬしらに着せる恩など別段ありはせん、次屋三之助に関しては儂は頼んどらん。文句はあいつに言えば良かろう」

 そう言うや否や、凪雅はさっさと地に倒れた生徒の肩を抱え上げ、よたよたと歩き出す。
 作兵衛が手を貸そうとしたが「いらぬ」のひとつ返事。再びよたよたと歩き出した、その前に、取り巻きが立ち塞がるのだった。

「待て。連れてくだなんて言って何するか分かったもんじゃねえよ」

「おい、いい加減に」

「する意味は無かろう」

 作兵衛の言葉を遮った凪雅の言葉はその場にすうっと落ちていく様な響き方をした。

「仮に儂がこいつを痛め付けて何となる」

 凪雅はそう小さく笑って、そのまま何者にも構わぬ風情で学舎の方へと歩いていくのだった。

「あれ、毒獅子いなくなっちゃったのか」

 入れ替わりに三之助が戻って来た。
 凪雅に文句は直接言えと言われていた取り巻き二人は然し、忌々しげにだがそそくさとその場を立ち去る。作兵衛に言わせれば図体ばかりがでかいだけなのであるが三之助のその六年生や教員と比べても遜色の無い体躯は充分な威圧があるらしい。

「作ちゃんは心配性だよ本当に」

「……るせぇ」

 三之助はへらりと笑って未だ遠くに見える凪雅の背に目をやる。

「儂が殴った相手ならば儂を殴っても構わんだろう」

「え」

 三之助は声色を変えながらそう言って、呆けた作兵衛にまたへらりと笑う。

「毒獅子がそう言ったんだ。後、なんつってたっけ……んーと、人を殴れる奴は、殴られる覚悟がある奴だけなんだって、あいつの理屈じゃ」

「はあ……」

「一理あるだろ」

「いや、暴論だろそれ」

 作兵衛の溜め息混じりなその答えに、「作兵衛らしいや」と三之助は笑うのだった。


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