花と嵐

□徒花は打ち捨てられる
3ページ/3ページ


 三の丸手前、忍軍詰所から程近い場所にある屋敷の前に立った陣内左衛門は、屋敷から応対に出てきた人物に、その涼やかな両の目を遠慮無く眇めた。

「なんだ、その格好は」

「なんだは此方の言うことです。陣内左衛門」

 陣内左衛門の前に立つ、菖蒲花の様な優美な女は華やかな縫い取りがされた小袖を身に付けている。
 尼削ぎ髪の、妙齢よりはやや年増かといった彼女の小袖の華やかさは、彼女について良く知る陣内左衛門にとって『なんだその格好は』と言わしめるに充分な珍しさであった。
 ただ、今の陣内左衛門にはその珍しさよりも果たしたい事がある。

「組頭はおられるか」

「詰所におられるでしょう」

「おられなかったから此処に来たんだ」

「本当に何なのですか貴方は」

 麗人とも言うべき程に整った顔が呆れた様に歪むのを前に、陣内左衛門の眉間は苛立ちが皺を一本二本と増やしていく。

「組頭に会えずして、私は何の為に黄昏時に戻ったのだ!」

「……凪雅様は今どちらに」

 陣内左衛門が、「殿と御謁見中である」と憮然たる声で答えれば、女は深い深い溜め息を吐く。

「常より頭の足りぬ奴と思うてましたが、此処までとは思いませんでしたよ陣内左衛門」

 益々眉間の皺を増やす陣内左衛門の背後から複数の気配が近づいてくる。

「ああ、やっぱり此処にいた!」

「答えてくださいよ高坂さん!」

「嫁を貰ったんでしょう!?」

「だから、私には嫁などいない!!」

 駆け寄って来た忍軍の若衆達に、陣内左衛門は苛立ちを隠さず怒鳴り散らした。

「私は組頭と共に地獄の果てまでも添い遂げる所存だ!その道におなごなど必要はないっ!!」

 地に足を踏ん張り、腹から響かせる声で朗々と宣う陣内左衛門に、服や顔のあちこちに煤を着けた若衆達は顔を見合わせる。

「なんだあ、じゃあやっぱり壮太の勘違いかよぉ」

「あいつ、色ボケてやがるからなあ」

「なんにせよ一安心だ。高坂殿が嫁を貰えないなら俺達だって貰えなくても仕方がない」

「そうさそうさ、仕方がない!」

 そう言い合いながら若衆達はゲラゲラと笑った。

「貰えぬのでは無い、必要が無いだけだ」

 陣内左衛門は、その笑いに鼻白んだ表情になる。

「良く分からぬ理屈を捏ねるでない。皆さん、」

 女がそう声を掛けた途端、若衆達は一斉にさっと姿勢を正した。

「陣内左衛門を縛り上げてでも、凪雅様の元へと連れてお行きなさい」

「はい!奥方様っ!」

「おいこらっ!さく……っ!!」

 詰め寄る陣内左衛門に対して、女は、黄昏時忍軍忍組頭が細君であるさくは、ぱんと鮮やかな手付きで目の前の顎面を叩き上げた。
 諸に衝撃を受けた陣内左衛門は体勢を整えようとしたが、空かさず其処へ飛び掛かった若衆達に引っ捕らえられてしまう。

「貴様らあっ!!」

 憤怒に顔を歪める陣内左衛門に対し、若衆達はヘラヘラと笑い、見下ろすさくの視線は冷ややかも冷ややかだった。

「己がすべき事を見極めれぬ駄々っ子に、どうして昆奈門様が会おうものか。貴方は凪雅様の元におり、凪雅様の手足とならねばなりません」

「あの姫は私の事など必要としていないっ!私の進言など何一つ聞こうとせん!!」

 若衆達に引き摺られながら、陣内左衛門は忌々しげに怒鳴る。
 さくは、その歪んだ表情をじっと見つめ、やれやれとでも言いたげに首を横に振った。

「それは貴方の言葉に実が無いからではごさいませんか」

「知った風な口を聞くな!実が無いのはあの姫の方」

「陣内左衛門!城内である!!」

 陣内左衛門の言葉を切り捨てるように、さくの怒声が轟いた。その声に、若衆達が一瞬、跳ね上がる。
「さく様が怒鳴るのなんて初めて聞いた」と、一人がそっと囁いた。
 陣内左衛門はぐっと口をつぐみ、若衆達もまたヘラヘラとした笑いを収め、辺りは水を打った様に静まり返った。さくの菊花の花弁の様な唇が、ふっと開く。

「徒花と、なるもならぬも、貴方次第であると、私は思いますよ」

 それは、先程の怒声を上げた者と同じとは思えぬ程に静かな小さな声であった。
 陣内左衛門と、さくは、暫しそのままじっと睨み合っていたが、軈て、小さく息を吐いた陣内左衛門が、腕を振って若衆達の拘束から抜け出る。

「その髪には似合っておらんぞ」

 さくの縫い取りの小袖と、肩の上を揺れる髪を睨みながら陣内左衛門は呟いた。

「……貴方に言われなくとも分かっております」

 さくの唇は柔らかな笑みを結ぶ。それを一瞥し、また小さく息を吐いた陣内左衛門は「失礼した」と一言、地を繰り上げ、屋根づたいへと山城を飛び上がっていくのだった。

「追いましょうか」

と、問う若衆に、さくはゆっくりと首を横に振る。

「……忍軍百人が中において、陣内左衛門程に負けん気の強い者もおりませんでしょう」

 さくが小さく苦笑めいたものを浮かべながらそう言えば、若衆達は再び顔を見合せ、「違いない、違いない」と言い合うのであった。

.
次の章へ
前へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ