花と嵐

□歩いていけば辿り着く
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 丑時ヵ原は、彼等五年生がいた鉱山麓の街から一里半程下れば見えてくる草の原である。
 小さな沼と葦の群生がある半湿地の様なその場所、丈高い草に埋もれる様にして小さな寺がある。山崩れの怪我人は皆そこへ集められている様だ。
 凪雅、三之助、左門が漸くその日中寺へと辿り着いた頃には粗方の事は済んでいた様で、件の行者姿の若者も、彼等の学友の姿も見えず、ただ若い雲水が四人、床を拭いているだけであった。
 雲水達は、顔を上げて、寺の庭に縺れ合う様にしてやって来た三人を怪訝そうに見た。

「もし、お尋ね致します。此処に怪我人を運んだ行者様は今どちらにおられましょうか」

 凪雅がそう問えば、裏の御堂にいると答えが帰って来た。

「使用人が世話になっていると思うので、お伺いしても障りないでしょうか」
「構いませぬよ」
「案内はいりましょうか」
「お気遣いだけ受けとりまする、では」

 凪雅は雲水達に軽く頭を下げて、また三之助と左門の服を掴み引きながら歩きだした。

「お嬢様、流石にもう道を間違えようが無いと思いますよ」

 三之助のぼやきを、凪雅は、はっと吐き捨てる様に一笑する。

「此処に至るまでの儂の苦労を鑑みれば、仕方無し事と思え」

 そんな凪雅と、ずるずると引き摺られて行く二人に、雲水達が向ける眼差しは最後まで怪訝そうなのだった。

 植木の間を縫うように、三人が寺の裏手へと回れば、件の御堂の周りは幾人もの鉱夫達が治療を受けている最中であった。その間を桶やら布やら包帯やらを持って歩き回っているのは、雲水や、軽傷の鉱夫達、そして数馬を始めとする五年生の四人。
 その内の一人、作兵衛が、ふと顔を上げ、凪雅と、その両手に掴み引かれている左門と三之助を見た途端、さっと顔を青ざめて、手に持っていた桶を取り落とした。

「悪い!すまん!そろそろ迎えに行こうと思っていたんだ!!コイツらが世話を掛けた!」

 青い顔をした作兵衛は、凪雅の元へすっ飛んでくるや否や、その手から左門と三之助を引き剥がそうとでも思ったのか、手をわたわたとさ迷わせる。然し、結局は引き剥がす事もせず、三之助の服を引いたり、左門の頭を叩いたり、自分の頭を掻いたりなど、見た目に忙しいその有り様に、凪雅は片口を歪めるような苦笑を浮かべてしまった。

「一先ず落ち着け。然し、何じゃ。では、儂らはじっとしておれば良かったのだな」
「そうそう、俺達、作ちゃんにじっとしとけって言われてたもん」
「何故それを早く言わんのだ」
「なんでその通りにしねぇんだよ阿呆!!」
「凪雅が自分達も行こうと言い出したからな」
「人のせいにしてんじゃねえ!」

 漸く、作兵衛の手は左門と三之助の襟首をひっつかみ、凪雅の手から二人は引き剥がされた。

「作兵衛、少々苦労は掛かったが、別段儂は気にしていない」

 作兵衛の取り乱し様に、凪雅は思わずそう取り成す様な事を口に出した。途端、二人に拳骨を落としかねない程の作兵衛の勢いはしおしおと萎む。

「あ、いや……その、コイツらが本当に世話を掛けた」
「それは先程も聞いた。だが、こうして辿り着いたのだから最早構わん」

 しどもどと、ああだとかううだとかの微妙な唸り声を上げながら、左門と三之助の頭を無理矢理下げさせようとする作兵衛に、凪雅はまたも苦笑が浮かぶ。

「よせよせ。気にしてないと言うとるだろうが」

 前々から薄々と感じていたが、どうも、己は作兵衛を萎縮させている様だ。
 拉致があかないと思い、そして一抹の面倒臭さも感じた凪雅は、作兵衛、左門、三之助、と、その額を順番にぺしぺしと軽く叩いて、三人の横をさっと通りすぎて行く。

「かずよ。手はいるか」

 そのまま、数馬の元へ行って、そう聞いてみる。
 此方を見返す数馬の額には汗が浮いていた。

「ああ、凪雅……じゃない、お嬢様。構いませぬよ」
「こうも忙しげな中で何もせんで呆けていろとでも言うのか、貸せ」

 数馬の手から泥や血で汚れた布が押し込められた桶を取り上げる。
 その桶を小脇に抱え、凪雅は、被衣をばさりと取り払った。

 そうして現れたのは滑らかだが、やや褐色気味の肌。頬の上を切り込んだ様な眼、被衣の影からも鋭く光っていたぎりりとつり上がるその両の眼は、日の下で益々ぎろりと強い。

「三之助」

 凪雅は取り払った被衣を、三之助へ放る。

「其処らの樹にでも引っ掛けておいてくれんか」
「んな事して、どっかの野暮天に隠されたら帰れなくなんぞ」

 三之助の冗談は、凪雅には今一つ通じなかった。故に、三之助が作兵衛に頭を叩かれている様子を怪訝な表情で見て、「まあ、適当にしたら良い」と、曖昧な返事をして踵を返す。

 返し様に、先程から感じていた視線の方へと目を走らせる。

 行者姿の、優しげな風貌の若い男。
 凪雅の父、黄昏甚兵衛が懐刀、雑渡昆奈門と奇妙な縁を持つ男。
 思えば、彼と雑渡の関係が無ければ、己が学園にいる事も無かったかもしれない。

 現状、雑渡は油断ならぬ奴だが、この方は……はて、どうだろうか。

 そんな事を思いながら、凪雅は、軽く頭を下げる。
 全くにこりともせず、友好的なそれと言うよりも、戦う相手に対しての間合いを図る様なそれに、彼は、善法寺伊作は首を傾げるような会釈を返すのだった。

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