花と嵐

□水は戻らず河は行く
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「然し、学年の五年生達が七人もそろって変姿まで混ぜて逢魔ヶ時にいるのはどういった理由……」

 伊作はそこで言葉を切り、数馬達の顔を順に見比べ、ふっと苦笑を浮かべた。

「というのは、聞いても構わないのかな」
「ええ、大丈夫です」

 数馬はゆっくりと頷く。此処に至るまでに、数馬達が交わした矢羽音に気付かぬ伊作では無いだろう。
 
「伊作先輩は、逢魔ヶ時に新しい鉱脈が見つかったという話をお聞きしていませんか」
「新しい鉱脈」
「はい。僕達はそれを調べるために来ていました」
「学園の課題で?」

 数馬は首を横に振る。
 それをじっと見た伊作はふと凪雅に目をやった。
 やはり気付いたか。と、数馬は思う、此処までは一先ず、数馬達の想定内である。

「そうか、高坂……という事は、君は、黄昏時の人か」
「ええ、忍軍は高坂陣内左衛門が弟です」

 予測が難しかったのは、凪雅の言動だったが、特段余計な事を言い出す様子は無かった。ただ、数馬の目には、少しだけ思案深げにも見えて気には掛かるのだが。

「……その新鉱山というのは、黄昏時からの情報なのかい?」
「いや、俺が旅芸人から聞き齧った情報なんですけど」
「不確定な事を良く良く確認もせず出て来てしまった此方も馬鹿だとは思いますね」

 三之助と左門がそう答えれば、伊作は成る程、と少しだけ目を伏せて、それからまた凪雅を見る。

「逢魔ヶ時に新たな鉱脈が見つかった知らせが、黄昏時に届いていないから、確かめてきた。という事かな」
「……ご明察」

 凪雅は驚いた様に軽く目を見張ってはいるが、伊作ならばそれに辿り着くくらいは容易いだろう事は数馬も分かっている。
 問題は此処からの反応だ。

 伊作は、またぐるりと順に数馬達の顔を見る。その表情から少し穏やかさが引いた様に、見えた。まだ此方の気のせいで済ませれる程度ではあったが。

「数馬、それを私に聞くのは穏当では無い。という事は分かっているね」

 かつてより鋭さが目立つ様になった、その眼差しを受けた数馬は、努めて柔らかい笑みを返す。

「信用、だけが理由にある訳ではありません」

 伊作が、眉を潜めた。剣呑というよりも、それは悲哀の色が強い。

「まず、先程左門も言っていましたが、此方の動き出しが早すぎた為に、僕達の逢魔ヶ時の調査については知る者が殆どいない。それこそ学園外には全く漏れ出ていない。つまりは、伊作先輩が今、何者であれ、僕達と此方で会った事は全くの偶然であると言える。此が第一の理由」

 伊作の表情に、数馬の胸は僅かに痛むのだが、それを今此処で語る自身と解離させる事はできる。できる様に、なっている。
 ぎし、と板間が軋む音がした。
 空気の動く気配がして、藤内が、数馬の横に静かに腰を下ろす。
 我らが参謀は、たまに心配性なのが難点だ。と、数馬は内心、苦笑を浮かべた。

「二つ目の理由としてしましては、端的に言うならば、我々は、善法寺先輩とは違って、まだ(・・)学園に属している為、です」

 件の参謀が、理知的な声で述べたそれに、伊作が返してきたのは、何とも言えない苦笑である。

「成る程、卵は己の巣に疑いは持たない」
「皮肉で見ればそうなるのでしょうね。ですが、何事かにおいて、掛かる危険が少ないのがどちらかは明白です」
「それはそうだ。すまない、今のは私が意地悪だったね」

 此方で、伊作の表情に少し穏やかさが戻って来た。

「然し、第一の理由には穴がある。次屋が情報を得た旅芸人とやらが何処ぞと繋がっている可能性」
「そんなものまで疑っていては、何一つ身動きが取れなくなりますよ。伊作先輩を疑うくらいに馬鹿馬鹿しい話です」

 数馬は、知らず自分の声色がすがる様になってしまった事に気付いて、ぎゅっと膝の上の拳を握る。
 伊作は、静かに目を瞬いて、それからゆっくりと微笑みを浮かべた。それは、やはり何処か草臥れてはいても、最初の様に穏やかなものであった。

「数馬も皮肉を言える様になったか」

 皮肉ではないと、そう思っていたいとは、数馬は口には出さなかった。
 伊作の言葉を借りるなら、巣から飛び立った鳥に、巣を疑わない卵はどの様に見えるのだろうか。と、そんな事を思う。
 膝を付き合わせている伊作と数馬の間には二歩の距離も無いというのに、それが今は、あまりにも遠く感じる。

 遠くに感じる、伊作の唇が、ふっと、開く。

「ゆく河の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず」
「え」
「……とはいっても、水が水であることはかわりないと、私は思っているんだ」

 呟くように言った伊作の言葉の意味が、分かるようで分からず、故になにも答えることが出来ず、それが歯痒くて数馬はただ目を伏せた。

「うん。せっかくの再会だ。つまらないやり取りはこのぐらいにしておこう。元先輩として、君達の質問に答えるよ」

 伊作の声色が、明るいだけに、解離させた筈の痛みが戻って来る。
 数馬はもう一度湯飲みを持ち上げる。口に含んだ湯はすっかり冷めきっていた。

「逢魔ヶ時の新鉱脈については聞いた事は無いな」
「人夫を新たに募っている所がある、という話などは」

 藤内の問いに、伊作は首を横に振る。

「……それも今のところは、ただ、私も最近この付近から動いていないから、新しい情報が入っていないだけかもしれない」

 そこで、伊作は再び少し考える様に目を伏せて、それから未だ顔を伏せている数馬の方を見る。視線を感じて、数馬はのろのろと顔を上げた。

「数馬、また何か分かったら、伝えるよ」
「……それは、出来ない事を約束してませんか」

 伊作は、数馬の目を真っ直ぐに見た。

「勿論、時と場合に寄る。でもそれは僕じゃなくても同じだと思うよ」

 『僕』と、昔の口調で言った伊作に、数馬は深々と息を吐く。
 だから、敵わないんだと、また思った。

「此方を気遣ってくれるのは有難いですし、此方から言い出してる事ですけどね。とりあえず伊作先輩は出来る限り早く三河の地を踏んでください」

 数馬が言うことが何を意味するのか、分からない筈も無いだろう伊作は罰の悪そうな表情で頭を掻く。

「うん、それは本当に申し訳無い」
「僕に言っても仕方無いです」
「夏が盛りになるまでには……説得力は無いけれど私もあの人に会いたくて仕方がないんだ。鳩の名の通りに翼が欲しいくらいに」

 遠い三河の国にいる、己の姉を、数馬は思い浮かべる。彼女もまた、目指すべきものを胸に生きている人だ。
 心配はしていないが、然りとて複雑ではある。

「もし、善法寺殿」

 その時、ふと、凪雅が口を開いた。数馬達の間に、密かに緊張が走る。

「先程、儂は、貴方に嘘を吐いた」
「嘘を?」

 ああ、まさか。いや、全く想定していなかった訳では無いけれど、もう大丈夫だと油断していた。
 数馬の内心の狼狽は、他の同輩達も同じだろう。作兵衛等は顔に若干出てしまっている。

「此方の本来の身の上は、黄昏時忍軍では無く、それを手足とする側にあります」
「え、と……?」
「我は、黄昏時城主が子、黄昏凪雅と申します」

 伊作の表情が固まった。

「そうなりますよね。俺達も最初は驚いて」
「黙ってろ馬鹿」

 軽口を叩いた三之助の頭を、青白い顔をした作兵衛がべしりと叩いた。

「……ああ、そうか。なんだか只者じゃない気がしてたけど、君……『嵐様』か」

 何時までも固まっていそうだった伊作は、然し、深い溜め息の後にそう続けた。
 凪雅は、への字の口を歪める様に笑った。

「やはり、ご存知でしたか」
「雑渡さん……君のところの忍組頭に、聞いた事がある」
「何時れ、またお会いする事もありそうな気がしました故に名乗らせて頂きました」
「……そうか。うん、私もそんな気がするよ」

 伊作は、また深い溜め息を吐く。溜め息と共に浮かべた表情は、困った様な苦笑で、数馬はそれを何やら酷く、今までで一番、懐かしく思うのだった。

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