花と嵐

□聞けども話せども
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「どういう意味?」

 孫兵がそう聞くが、作兵衛は自分でも言った様に上手く纏まっていない様で、決まり悪げにまた頭を掻く。

「俺は、武家の事とかは良く分かんねえから……黄昏家の家督を貴兵衛ってのが継ぐ事で、黄昏時に何の問題があるかってのも正直分かんねえんだよ」

 補虫網を編む手を再び動かし始めながら、訥々とした口調で作兵衛は話し出す。

「良い殿様が国を治めれば、領民は豊かに暮らせる。貴兵衛は、凪雅が言うには抜け目の無い奴なのかもしれないけれど、あの逢魔ヶ時を治めているのだとしたら、領主としての器は申し分無いと思うぞ」
「まあ、確かに、僕達が見てきた逢魔ヶ時は活気があって良いところに思えたけどね」
「貴兵衛に黄昏時を治められたくねえのは、今の殿様、黄昏甚兵衛だろ。凪雅が男の成りをしているのも、家督のごたごたに関わっているのも、全部、黄昏甚兵衛がそうさせているんじゃねえか。凪雅は、その家督争いに勝てば、城主になれるのかもしれねぇけど、それだって若様が大人になるまでの一時の事だろう……なんつぅのか、その、」

 訥々と、話す毎に、作兵衛の眉間には難しげな皺が一筋、二筋と深くなる。

「まるで、それじゃああいつは、黄昏時の、黄昏甚兵衛の道具と変わらねえじゃねえか。その為に俺達と輩になりたいって、仲間ってのはそんな風に作るもんじゃないだろう」

 話終えたのか、作兵衛は唇を引き結び、難しげなしかめっ面を孫兵に向ける。孫兵は、何とも言えない笑みを口許に浮かべていたものであるから、作兵衛のしかめっ面はますます歪むのだった。

「なんだよその(つら)は」
「いやぁ、なんだか凄く作兵衛らしいなあと思って」
「は?」

 孫兵の笑みは、親愛でもあり、呆れでもあった。
 己を含む五人は皆、現状と今後の展開についてどう考えるべきかという視点であったのに対して、作兵衛の憂いは、凪雅個人の有り様に向けられている。任務遂行を第一とする忍としてその性質は誉められるものでは無いかもしれないし、こういったある種の甘さを、三之助などは『作ちゃん』と揶揄するのだろう。
 誉められない、としても、作兵衛の昔から変わらないその情の深さが、孫兵にとっては興味深いと共に好ましく安心を覚えるのだ。

「そんな風に引っ掛かっているなら、直接、凪雅と話してみたら良いじゃないか」
「うえっ?……あー……いや、それは……」

 途端、作兵衛はもごもごと気まずげに口ごもり目を泳がす。
 孫兵の笑みは益々呆れた苦笑に変わる。

「前から思ってたけど、なんで、作兵衛は凪雅を恐がってるんだい?」
「……恐がっちゃいねぇよ。恐いけどよ」
「なんだそりゃ?」
「んー……なんつぅんだ。落ち着かねえっていうのか? こう腹の底がぞわぞわすんだよあいつ見てると。凶暴な犬が側にいるみたいな気分」
「ふぅん……?」
「後、やっぱり黄昏時城主の娘だって思うとな。俺が粗相する事で学園が何らかの火の粉を被る事になるんじゃないかという不安が頭をもたげてきてだな」
「いやいや、それは考え過ぎ」
「だと、分かっちゃいるんだけどよ」

 またもや深々とした溜め息を吐いた作兵衛は、重々しい動きで立ち上がる。

「悪い、後は一人でやれるか」
「あれ、結局行くんだ?」
「善は急げとも言うしな。俺ばっかりうだうだ悩んでても仕方ねえんだろ」
「まあ、それはそうだけど」

 何やら物凄い大仕事をしに行くような顔をしている作兵衛に、孫兵は、つい無理をするなと言いたくなるが、やると決めた時の作兵衛がかなり頑固である事を知っていた上に、別段止める意味も無い様な気もして口をつぐむ。

「凪雅は今、何処にいんだ」

 長屋に目を向ければ、凪雅の部屋の戸は薄く開いていて、廊下の日溜まりには彼女が拾って来た烏猫の夜が丸まって眠っている。

「少し前に、部屋から出ていったのを見たけど……ああ、そういや木刀を持っていたな」
「鍛練か」
「多分ね。もしかしたら武道場かもよ」
「おう、見てくるわ」

 作兵衛は小さく頷いて、長屋の庭を後にする。
 その少々小柄であれど逞しく背筋の伸びた背中を見送った孫兵は、またふっと何とも言えない笑みを唇に浮かべた。
 作兵衛の言った、『恐い』には、少し心覚えがある。彼が敬愛しているかつての用具委員長に向けていた眼差しにそれは近い様に思った。
「凄い先輩だから、決して怒らせちゃなんねえ。邪魔になっちゃいけねぇ、しっかりついていかねぇと」と、痛々しい程に真剣な顔で松葉の背中を追い回していた様子は、孫兵の記憶に染み着いている光景の一つだ。

 ならば、その『恐い』は、恐怖では無く、畏怖なのだろうと孫兵は思う。

 凪雅に対する、作兵衛の畏怖。

 それは何かしらの予感を孕むものの様に孫兵には思えたが、自身の情緒主義を自覚している彼は、考え過ぎだなとその感覚を軽く払い除けて、後はまた黙々と手を動かし続けるのだった。


 
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