花と嵐

□ざわめけばもの思う
2ページ/2ページ


 誰か来たな。
 と、凪雅が目を向けた先には金吾が立っており、それは彼女の予想通りであったが、金吾の隣にはもう一人、三年生の生徒が佇んでいた。予想外、という程大袈裟なものでも無いが、おや。と、首を傾ける様な気分で凪雅は彼等に目を向ける。同時に、その場に漂っていた空気が崩された様なものも感じ、次いで、何時から見られていたのだろうかという邪推が浮かぶ事も煩わしい。
 微妙な不機嫌が、顔に出てしまっているのだろう。金吾は気の弱そうな少し強張った眼差しで此方を見るばかりで武道場の中には入って来ない。対照的にその隣に付き添う少年は妙にのほほんとした雰囲気を纏っていたが、金吾に倣っているのか彼もまた動かず黙りと佇んでいるのみだ。

「金吾」

 一先ず名を呼べば、あからさまに肩を震わせる。いっそ怯えた仔犬を見ている様で、ついつい苦笑が浮かぶ。

「喜三太も、どうした? 鍛練か?」

 眉間を擦るのを止めた作兵衛が金吾の隣の少年にそう声を掛ければ、少年は、少し間を置いて、ふるふると首を横に振る。それに対して怪訝そうに首を傾げる、作兵衛の眉間はうっすらと赤い。凪雅はそこまで強く叩いたつもりは無いので、恐らく擦り過ぎだろうと思う。

「ほれ、何時までも突っ立っとるんじゃ」

 凪雅がゆるゆると手招きをすれば、金吾よりも先に、喜三太と呼ばれた少年が此方へやって来た。金吾は、それに小さく口を開けて何事かを言い掛けようとし、然し言葉を出すことも無く、口を閉じて難しげな顔を引っ提げて如何にも仕方無げに後から着いてくるのである。

 人懐こい仔犬と臆病な仔犬の様じゃの。

 凪雅の脳裏には二匹の仔犬がわらわらと動いている。凪雅が笑えば、仔犬もとい少年がふにゃんとした笑みを返してきた。

「えっと、初めまして。三年は組の山村喜三太です」
「金吾の同輩か。高坂凪雅と申す」
「知ってますよぅ」
「うん?」
「だって、有名ですもん」
「有名、」

 思わず呆けて、喜三太を見返し、それから作兵衛を見る。作兵衛には目を逸らされた。仕方無くまた喜三太を見れば彼は再びふにゃらりと笑う。

「儂がか」
「黄昏時忍軍からの編入生ってくれば、そりゃあ注目を集めますよぅ」
「ふむ……そんなものか」

 武人たる凪雅の父、甚兵衛が手足として頼りにしている忍軍だ。決して他愛ないものでは無いと凪雅も分かってはいるが、改めてその名が外の者達に轟いているのを見るのは不思議な気分になる。

「……そこまで、大層なものでも無いだろうが」

 凪雅にとって、忍軍は父の家臣の一つにしか過ぎない。加えて言えば、あの組頭については何処か気を許せないものを感じている。凪雅が此方にいる件についても、小夜川衆の件にも、叔父上の件にも、どうにもこうにもあの組頭ひいては忍軍の影がちらつくのだ。
 彼等が動いているのは、他ならぬ父の為であると、そう信じてはいるが、それは凪雅個人の心情や意向とは必ずしも噛み合わない様な気がしている。
 雑渡昆奈門は父の懐刀であって、それは凪雅の懐には収まらない。当たり前と言えば当たり前だが、それについて考えると焦りに近いような身の置き所の無い気分が胸の奥でざわめきだす。それが不愉快であるから、この時も凪雅は、早々に思考を切り換えた。

「そちらの、大事そうな壺には何が入っておるんじゃ」

 故にそれは、話題を逸らそうと思っての質問だった。隣の作兵衛から、視線を感じる。
 喜三太は然して気にする風でも無く、寧ろ嬉しげにいそいそとした様子でその何やらぬめりとした質感の壺の蓋に手を掛けた。

「ちょ、ちょっと喜三太」
「おい、喜三太、それは」

 金吾と作兵衛が、殆ど同時に喜三太を留める様な声を掛けたが、聞く耳は持たず、喜三太は蓋を開けた壺の中身に突っ込んだ手を凪雅の眼前へと差し出した。

「蛞蝓はお好きですか?」
「…………うむ」

 ぬめぬめと蛞蝓が蠢く掌を見せられ、凪雅は叫びこそしなかったが、大いに面食らう。
 目を眇めて、眉を潜めて、それから、口許を歪める様な笑みを浮かべた。

「…………孫兵といい、何といい、妙なものを飼う奴が多いな」

 好きであるとも嫌いであるとも言わない返答だが、言葉尻と表情は饒舌で、喜三太は肩を軽く竦めてから蛞蝓を壺へ戻した。

「お前、未だに、初めて会う奴がいる度にそれ聞いてんのかよ」

 作兵衛が呆れた様に、心無しかしゅんとしている喜三太に声を掛ける。

「だって、何時かは同士が現れるかも知れないじゃないですか」

 ちょんと唇を尖らせている喜三太に、金吾も作兵衛も苦笑を浮かべる。

「……そうさな。何事も行動を起こしてみなければ、始まらん」

 凪雅の返しは、何処か擦れていたが、喜三太は「ですよね」と神妙に頷いて、それから武道場の入り口を振り返る。そこに目を向けたのは、金吾も作兵衛もである。

 一人、二人とくれば、やがて何時の間にやら全員揃う。

 そんな『彼等のお約束』を、凪雅は知るよしも無い。

 また、誰か来たのか。

 と、わやわやとした気配に目を眇めながら、三人とは少し遅れて顔を上げるのだった。

.
次の章へ
前へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ